
Fool on the planet #6~#10
参考曲:Fool on the planet / The Pillows
#6 茅野みゆきは臆病である
#7 綾式理子は和を重んじる
#7.5 教えて! 環隊長!
#8 橘英介は素直である
#9 日野伊鶴は豪気である
#10 佐原近江は心優しい
#6 茅野みゆきは臆病である
#7 綾式理子は和を重んじる
#7.5 教えて! 環隊長!
#8 橘英介は素直である
#9 日野伊鶴は豪気である
#10 佐原近江は心優しい
#6 茅野みゆきは臆病である
茅野みゆき(かやのみゆき)は臆病である。
「お、お、怖がらんでえーよー、難波(なんば)隊の環(たまき)や、よろしく」
みゆきが寝ていた休養室に突然入り込んできた女性が、早口でみゆきに話しかける。
荒っぽい関西弁が怖い。大阪に引っ越してきて1ヶ月経っても、慣れない。
「みゆきちゃん、言うんやな。高校1年生? なったばっか? ほなうちより二つ歳下やね」
「……」
「高校生なったばっかやったのに、災難やったね。でももう大丈夫、あんたのフールは抑え込んだで。気分はどない?」
「……」
「ふつう?」
「……は、はい……」
知らない人との沈黙が怖い。だけどこちらから積極的に会話を弾ませる技術もない。FCC専属の保健医だと言っていた女性の姿は見えない。他の人の気配もない。もちろんみゆきの知り合いがここに来てくれる可能性はゼロに等しい。
茅野みゆきは臆病である。
まだ返ってきていないテスト用紙が怖い。生活環境の変化が怖い。大柄な男の人が怖い。知らない男の子に告白されるのが怖い。夜の学校が怖い。姿の見えない虫の音が怖い。無邪気な同調圧力が怖い。流行りを追いかけることが当たり前だという風潮が怖い。罪なき者を傷つける犯罪者が怖い。
そんなみゆきだったので、自分がフールとなって誰かを傷つけることを特に恐れていた。テレビで時折耳にする、「カテゴリー3がこれだけの被害を出した」云々というニュースですら十分に怖かったのに、それが自分のことを報じるだなんて。
「なぜ自分が生きているのか」はわからない。ただ、保健医やFCCの職員の言うところによると、自分はカテゴリー3で、授業中にフールが発現して、FCCの戦闘員に倒されて、フールの力は封じ込められた、と。そういう感じの話だった。
フール関係の事件の映像はFCCによってほとんど制限されており、名前や顔写真ですらニュースには出ない。ただフールが発生した地域と、その被害の規模と、あたりさわりのない地域住民のインタビューと、それくらいだ。対応にあたったFCCの戦闘員の情報もほとんど出ない。当然みゆき自身の情報も出ていないはずだ。
それでも。それでもみゆきは自分のニュースを見ることができなかった。
「あんたが悪意を持って誰かを傷つけたわけじゃない。あんたの中のフールが、好き勝手暴れただけやんか。あんた自身の人格になんも問題ない。それでも見られへんの?」
そう言われても、そんなに簡単には割り切れなかった。みゆきはある意味でひどく自罰的だ。他者を攻撃したり原因を他者に押し付けたりするくらいなら、「自分が悪かった」と反省する方が、ずっと安心できた。
「私が悪いんだから、いっそそのまま殺してくれてもよかったのに」
「あほ!!」
大きな声がみゆきの頬を打つようだった。環が発した声は、暴力よりも鋭かった。
「フールの発現は事故みたいなもんや! たまたま車が歩道に突っ込んで、たまたま歩いてたあんたが怪我して、誰かあんたを責めるか? 責めへんやろ? 突っ込んだ車の方を責めるやろ?」
「でも、その車自体も、私自身じゃないですか」
「ちゃう!! フールは『別の自分』や。全然別人格や。特にカテゴリー3なんかはな。暴れたときの記憶あるんか? ないやろ? あんたが気に病むことちゃう」
「でも、でも、お父さんにもお母さんにも謝れなくて、心配だけかけて、こんな……」
「……家族への情報開示は、条件がめっちゃ厳しいけど、できんことはない。ただ、ちょっと、いろいろ書類とかめんどいけど、うん、できんことはないで」
それは本当の話だろうか。言いよどむのは、実際それをした人がほとんどいないからじゃないだろうか。
「実際、FCC隊員のほとんどは『元フール』や。うちもそうやで?」
「え!? え、そ、そうなんですか!? え? 本当に?」
「だから、『殺してくれた方がよかった』とか言わんといて」
「……すみません」
それは知らなかった。
というか、誰も知らないんじゃないだろうか。処理されたフールが生きていて、隊員になっているなんて、そんなこと、誰も。
「あなたは……家族に生きてるって、伝えられたんですか?」
「うち……両親とも死んどるから、その制度は使ってへん」
「あ……」
悪いことを聞いた、とみゆきはうつむいた。
「気にせんでええよ、だいぶ前の話やし」
ひらひらと手を振りながら気軽そうに言うが、本心ではなさそうだ。
「……できるなら……家族に伝えたい……そうしたい気持ちが大きいです」
「OKOK、うちの隊に入ってくれるなら、そのために動いたげる」
「隊に……入る?」
「そ、カテゴリー3のフール発現したやつは、世間的には死んでるやろ? でもあんた、生きてるやろ?」
「はあ……」
「それは、フールの力を『隷属化できた』ってことやねん。まあ訓練とかは必要やけど、一般人よりずっとずっと強い力持っとるんよ。せやから、その力生かして、影で世界を救う『FCC隊員』になってほしいな、と、そう思っとるわけ。あ、もちろん戦闘員な」
「私……運動できません……」
「いやいや、フールの時の力は、なかなかやったで。うちらでも結構手こずったし」
「覚えてませんよ……そのときのことなんて……」
「まあまあ、とにかく、一回ゆっくり考えてみて。うちの隊、女子隊員募集中やねん」
ニカッ、と快活に笑うその人は、とても眩しかった。
きっとこの人も、今のみゆきみたいな心境のころがあったはずだ。フールとして暴れて、制圧された過去があるはずだ。みゆきはそれを思って複雑だった。
……でも、この人も、私と同じ「色」をしている。
これまでめったに出会うことはなかったのに。
「あの……環さん……」
「環隊長、って呼んで。難波隊長でもええけど、うち自分の名字あんま好きちゃうねん」
「環」は下の名だったのか。
というか若く見えるけど、みゆきより二つ年上ってことはまだ18歳だろうけど、それで隊長だったのか。隊長というのがどういう立場なのか、みゆきは知らないのだが。
「いやまだ入隊しませんけど」
「まあええやん細かいことは気にせんで。で、なに? みゆきちゃん」
「環さん、人のオーラって見えますか?」
「は? オーラ? 見えへんけど? なにあんた、占いとか好きなん?」
「いや、そういう訳ではなく……」
「うちのオーラ、濁ってるからこの壺買え、とかこの数珠買え、とか言わんやろね」
「言いませんよそんな詐欺師みたいな」
「あっはっは、詐欺師ちゃうかったか」
ずっと鏡を見ながら、この色はなんなんだろうとみゆきは思っていた。
周りの人間を見回しても、みんな「色が薄かった」のだ。自分と同じような色をした人は、ほとんど見たことがなかったのだ。ごくまれに「色が濃い」人を見かけても、自分との共通点がまるでわからなかった。それに、そういう人たちはすべて「他人」だった。テレビで見かけたり、人混みの中にいたり。そんな人に「あなた、私と同じ色のオーラをしていますが、どうしてですか?」なんて聞けなかった。それこそ詐欺師だとしか思われないだろう。もしくは頭のおかしい人か。だからみゆきは、高校生になっても自分だけに見えるこの「色」が、一体なんなのかわからないままだった。
「私、ずっと人の『色』を見てきたんです。自分の色と同じ色の人、ほとんど出会ったことなかったんです。でも、環さん、私と同じ色をしています」
「……ふうん」
「それって、オーラみたいなものかな、ってずっと思ってました。でも、よくわからなくて」
「それって、写真でも見えんの? その、オーラ?」
「……はい、一応」
「ほな、この写真見て、色教えてくれへん?」
環が差し出した端末に、環を含めた数人の女性が映っていた。
「えっと……え、え、みんな同じ色……です……みんな色が濃い……私と……同じ色です……こんなにいっぱい集まってるの、見たことない……」
環が息を飲んだ。
「ほな、ほな、こっちの写真は!?」
また環が端末を操作し、別の写真を示した。今度は年配の男女が4人映っている。
「……こっちも……みんな色が濃い……です……でも……」
「……でも?」
「このおじさんだけ……他の人よりは少し薄いです。この色の人は……ときどき見かけました……」
「!!」
突然環がみゆきを抱きしめた。
「きゃっ!!」
すぐに体を離すと、満面の笑みで、嬉しそうに、それこそ何億円レベルの宝くじが当たったみたいな顔でみゆきを見つめる。
「みゆきちゃん、なにがなんでもうちの隊に入ってもらうで、もう決めた!」
彼女がなにに興奮しているのか、わけがわからない。
だけどみゆきは、平凡だった自分の人生が少し動き出したことを予感していた。
#7 綾式理子は和を重んじる
綾式理子(あやしきりこ)は和を重んじる。
その場の雰囲気にそぐわないことは言わない。その場に必要ないことはしない。口では「大丈夫」と言っていても、顔が大丈夫そうでない場合はケアを怠らない。もちろん、理子のおせっかいを必要としていないであろう場合は手を出さない。
昔からこうではなかった。空気を読むのが得意な子どもではなかった。FCCには、本当に様々な人たちがいる。老若男女、クセの強いのも穏やかなのも、勝気なのも嫌味っぽいのも鈍感なのもいる。そんな中で険悪になった隊員は居場所がない。脱退するわけにもいかない。喧嘩別れするわけにもいかない。我慢していればほころびが出る。そうなれば周りの人間も気を遣う。だから、自分が率先してそうならないように立ち回るのが得意になっただけだった。
綾式理子は和を重んじる。
だいたいどんな相手でもそつなくやっていけると思っている。もともとは別の隊にいた理子だったが、環が隊長に就任するタイミングで引き抜かれた。どちらの隊にも未来のビジョンがあったので、理子は自分が移籍することが大阪支部のためになると思った。だから今現在、難波隊にいるというだけで、今後また隊編成が変わることがあれば、異動することに抵抗はない。
「理子ちゃん! この子、うちの隊に入れたいねん! みゆきちゃん言うねん! こないだうちらが倒した子!!」
環が、この間自分たちで倒したばかりの元フールの女の子を引っぱって隊室に連れてきたときは驚いた。
「この子な、なんとな、聞いて驚かんといてよ。すごいねん。歴史に名を刻むでこれはほんま」
「はよ言って」
「フール化してなくても、見た人のカテゴリーわかるらしいねん!!」
「……それはすごいわ」
本当だろうか。フール化している人間には「フール細胞」というものが存在する。無意識にフール化している人間も、自分たちのような元フールの隊員も。身体にフール細胞があればそれをレーダーで追える。そういう技術がFCCにはある。現にこの子が暴れたときも、オペレータールームが正確に居場所を突き止めて、現場に向かうことができた。
「あたし、カテゴリーなにに見える?」
「……私と……同じ色に見えます……」
「そ、この子な、色で見えてるらしいねん。濃い色がカテゴリー3、ちょっと薄めならカテゴリー2、みたいに」
「わ、私、そんなカテゴリーが見えてたとかわからないんですけど……単にオーラの色がちょっと違うな、くらいの……」
「うちの隊員のカテゴリーも全部見分けてたし、ヤギさんの隊も全員正解してたで」
宮城さんの隊も……。それは、本物かもしれない。あの隊にはカテゴリー2の珍しい隊員が一人いる。それを言い当てたとしたら、確かだ。
しかも驚くべきことに、理子も環も今は「フール化を解いている」のだ。つまりただの人間である。レーダーにも反応しない。にもかかわらず言い当てた。
「みゆきちゃん、って言ったね。あなたを難波隊に正式に勧誘します。事務的な処理はすべてこちらで。フール化する訓練とか、FCCに関するいろいろとか、フールに関する勉強もしてもらいたい。一般市民が知らない重要機密も含めて」
理子はこの隊で最年長だ。隊長は環だが、舵取りは理子が行うことも多い。環もそれを期待してくれている。この子のために、そしてこの隊のためにどう動くのが一番よいかをよく考える。
「あ、でも大阪出身の子は大阪支部に入れにくいんだけど、それはわかってるの?」
「!! 説明してへんかった!!」
「え、えっと、私まだ入隊する覚悟はできてないんですが……」
「あれ、そうなの?」
無理に入れるのは理子の望むことではない。
フールとして制圧された人間はその能力上、FCC隊員に向いているとはいっても、拒否する人もいるのだ。高齢だったり、幼すぎたり、戦うことに向いていなかったり、性格的に問題があったり。
「ゆっくり決断してくれたらええよ。ただ入隊する気ぃがあるんやったら、他の隊にはやらん!」
「女子隊員募集中だからね、うち」
「そうそう、他の隊男ばっかやから、うちにしとき!」
「ふぇ、は、はい……」
この子は少し恥ずかしがりというか、引っ込み思案な子に見える。ばりばり戦闘をするタイプには見えない。明治は物静かだが戦闘に向いている。環は言わずもがなバトル向きの性格。理子は冷静に戦局を見るタイプだ。だがこの子は……。
いや、それを差し引いても「カテゴリーを見分けられる」というのは喉から手が出るほど欲しい人材だ。
「大阪にずっと住んでいたの?」
「あ、いえ、最近父の転勤で引っ越してきたばかりで……」
「あ、そうなんだ」
「まだ1ヶ月くらいです」
「そっか……慣れない地で、大変だったね。高校生活も始まったばかりだったんじゃない?」
「……」
「わけもわからないまま、こんなことになって、大変だったと思う。いろいろと保健医さんから聞いているかもしれないけど、まだ情報がいっぱいでよくわかんないでしょ」
「そう……ですね」
「とにかくゆっくり、気を落ち着かせて、入隊とかそんな話はあとでも大丈夫」
「あ、ありがとうございます」
環なら気が急いて「え、じゃあ大阪支部入るのに支障ないやん! ラッキー!」くらい言ったかもしれないが、事件直後の女の子にかける言葉としては配慮に欠けている。混乱したまま無理に入隊を決めさせるのは可哀想だ。ゆっくり決めさせるべきだ。
「ほら、隊長、彼女を休養室に帰してあげて」
「あ、うん」
「またね、みゆきちゃん。とりあえずはこの施設で養生して、心を落ち着かせて、それから返事を聞かせて?」
「あ、はい、ありがとうございます」
――――――
「いやあ、あんときの理子ちゃん、うちよりよっぽど隊長やったわ」
「人生の年季が少しだけ長いだけよ。うちの隊長は環でしょ」
結局数日経って、茅野みゆきは正式に難波隊に入ることになった。大阪に住んでいて大阪で事件になったが、それでも大阪支部に入ることを上に認めさせた。
「戦闘には向いてへん気ぃもするけどな」
「そのへんはオーミくんがうまく教えてくれるでしょう」
「オーミさん教えるのうまいもんなあ」
「戦術指南は彼に任せるとして、それ以外の面倒ないろいろはあたしたちでやらないとね」
「うーい」
FCCの新入りが覚えることはとてつもなく多い。一般市民が知らないことも常識として知っておいてもらわないといけないし、それを市民に漏えいすることは重大な規律違反だし、戦闘訓練もあるし、そもそもフール化をうまく扱えるようになっていかないといけない。いろいろな検査も必要だし、大阪支部の人間への面通しも必要だし、両親に無事を伝えるための面倒な手続きのあれこれもある。
「嬉しそうやな、理子ちゃん」
「そりゃあだって、4人揃ったんだもんね、ようやく」
「せやな、これでもう3人部隊とか言わせへん」
「しつこくミドリちゃんを勧誘することもしなくて済むね」
「いや普通に5人部隊めざすんもありちゃう?」
「ありちゃうわ」
ときどきしか関西弁が出ない理子である。関西出身ではあるが、あまり関西弁を出さないようにしている。和を重んじる身としては、「関西弁の通じにくい大阪支部で関西弁を話すことにメリットが少ない」からである。環はなにも気にせず関西弁を使いまくるが、彼女は例外である。そもそも標準語を話す環は気持ちが悪い。
慣例であってルールではないのだが、大阪になじみの深い人物がカテゴリー3となって暴れ、FCCに制圧された場合、FCC大阪支部には配属されにくい。なぜなら一般市民からすれば「死んだはずの人間」として認識されているからである。知り合いや親族が多いほど、パトロールや戦闘行為で一般市民の目に触れるたびに正体がバレてしまう危険性がある。
「うちの息子はフールとして死んだはずなのに、なぜかFCCの制服に身を包み別のフールと戦っていた!」なんてことになってしまう。「本当にあった怖い話」になってしまう。ニュースにフールの顔写真と名前は絶対に出ない。しかし直接の知り合いは別だ。噂程度でも知ってしまっていることが多いだろう。
そのため、FCCに入隊したとしても、なじみの薄い地域に配属されることが多い。環やみゆきの場合は珍しいと言わざるを得ない。とはいえ、みゆきは大阪にまだなじみが薄いと判断されたのだろう。リスクは低い、と理子は思っていた。理子に限らず多くの人間がそうだった。これは楽観的観測だったと、後になってわかる。
――――――
「今見える範囲でカテゴリー3は?」
「……いません」
「OK、ちょっと場所変えようか」
理子とみゆきは昼の繁華街に出ていた。行き交う人を見ながら、潜在的カテゴリー3の人物を事前に見つけ出しておこうという目論見だ。パトロールもしながら、一石二鳥である。
もちろんパトロールなので、みゆきもきっちりとFCCの制服に身を包んでいる。正直まだ着こなせているとは言いがたいが、形から入るのも大事だと理子は思っている。
「理子先輩、狙撃手なんですよね? やっぱり目がすごくいいんですか?」
「んー? そんなことないよ? スコープの精度が高いだけだよー」
「最近環隊長が私のことを『みゅっち』って呼ぶんですよ」
「『みゅっち』!? それちょっと呼びにくくない? 『みゆっち』とか『みゆきっち』ならわかるんだけど」
「私もそう思うんですけど、なんか気に入っちゃったみたいで……」
「新しい後輩ができて嬉しいのかな。ほんとにヤだったら、言いなよ?」
「はい、あ、いえ、嫌では全然ないんですけど」
「最近オーミくんに、戦術について学んでるんでしょ? 成果はどう?」
「すごくためになるというか、私には未知の世界過ぎてすごく難しいけど面白いです!」
「そっかそっか、FCCの装備に慣れてきたら、難波隊全員で訓練もしたいねえ」
「そうですね! ……でも、ちょっとだけ、近江先輩、怖いです」
「あっはっは、まあ彼、大きいもんねえ」
「みゆきちゃんに見えているオーラって、どれくらい離れてても見えるものなの?」
「えっと、そうですね、あのビルの入口らへんにいる人くらいまでは、判別できます」
「なるほど、なるほど」
雑談をしながら、人ごみに目を向ける。別にフールが普段から挙動不審とかそういうことではないが、それでもパトロールを自称するのだから怪しい人物に目がいってしまう。理子は「フール対策委員会」だが、フール以外の迷惑な一般人への対処も行うことがある。気は進まないが。
ピピッ
ときどきヘルメットのレーダーでフールの存在も確認する。普通に街中に溶け込んでいるのなら、ほとんどがカテゴリー1、悪くてもカテゴリー2だ。しかしそのすべてが平和で心優しいとは限らない。過去にはカテゴリー2が暴れ回ったこともある。
まあ、それを言い出したら、単なる人間が暴れ回ることだってある。覚せい剤で頭がおかしくなった男が包丁を振り回した事件だってこの辺りで起こったことがある。何事も絶対はない。理子は気休め程度に周囲のフールを確認した。いないことはないが、気にするほどではなさそうだ。
「ここからなら見やすいですね」
「ね、程よい距離感で、360度見渡せるし」
いつものパトロールとは少しポイントが違うが、みゆきに広範囲を見てもらうためのルートを取っていた。これからはたびたび一緒にパトロールを行おう。それが今後のFCCとしての活動を楽にするはずだ。たっぷり働いてもらった後は、美味しいスイーツでもご馳走しよう。チョコのたっぷりかかったドーナツはどうだろう。それともパンケーキ? いやしかしテイクアウトしやすいものの方がいいよね。和菓子の方が好きかな? それなら明治ちゃんにおすすめを訊いた方がいいだろうか。
理子がそんな物思いにふけっていると、みゆきに声をかける人間がいた。
「あ、あのっ!!」
なんだろう。道でも尋ねたいのだろうか。
だがその少年は、FCC隊員に用があるという様子ではなく、みゆき本人に用がある、と言った顔をしていた。
「……橘くん……!?」
え?
みゆきのこの反応は……直接の知り合い……!?
まずいことになった。
理子は己のうかつさと運の悪さを呪った。
#7.5 教えて! 環隊長!
まいど! FCC大阪支部、難波隊の隊長、環や!
今日はうちが、FCCとはなんぞや、フールとはなんぞや、いうことを教えるで!
一応おさらい的なことばっかやから、飛ばしてもOKやで! でもせっかくうちがあれやこれや喋るから、まあ、できたら聞いてもらえるとありがたいかな。
まずやね、今から40年以上前に、世界で初めて「フール」いうもんが認識されたん。アメリカの小さい子どもの事例な。なんかお母さんの髪の長さが、あっちの世界とこっちの世界で違ったから気づいたらしいで。もしかしたらその前にも同じことが起こってたかもわからんけど、歴史上最初やと言われてるのはその事例やねん。
ほんで、入れ替わった人間にもええやつ(無害なやつ)と悪いやつ(有害なやつ)がおってな、カテゴリー分けされるようになったんよ。
カテゴリー1は、ふつうに日常的にそこらにおるやつ。周りが気づくこともあるけど、基本的に無害やからほったらかし。『無害認定』とも呼ばれとるな。でも向こうの自分と記憶は共有してないみたいやし、行ったり来たりしてる間の印象も曖昧みたい。だいたい長くて1週間くらいで元に戻るねんけど、複数回入れ替わったりする人も珍しくないな。頻繁な例やと月イチくらいで入れ替わる人もおるんやて。
で、次がカテゴリー2な。これもたまにそこらにおるけど、ちょっと荒っぽくなるっていうか、攻撃的やったり粗暴やったりするみたい。これは『注意認定』って呼ばれたりもする。犯罪に走ったりすることもたまにあるから、ちょっと要注意やね。目立つ場合はFCCの監視がつくこともあるで。1日から数日で元に戻るんやけど、これは周りの人も気づきやすい。カテゴリー2の人は、周囲から避けられたりしがちで、それが問題になったりもするな。
ほんで、カテゴリー3な。これは『有害認定』言うて、FCCによる討伐の対象になる。でも殺すんやなく、瀕死にする。いつからかそう決まってん。せやからうちらは「必殺技」とか使わんのよ。殺すんが目的ちゃうからな。これなー長くて2時間くらいで戻るんやけど、2時間もほっといたら甚大な被害が出るから、とにかく短期決戦で制圧せなあかんな。あ、カテゴリー3が発現した人はほぼほぼFCCに制圧されてるんやけど、実は逃げてしまったやつもおるんよ。日本の話ちゃうねんけどな。もともと闇の世界の住人? らしくて? 次出てきたら絶対すぐ制圧せなあかんな。
フールには「フール細胞」いうもんがあって、これを攻撃するための兵器を「フール兵器」っていうねん。うちらはみんなそれ持ってる。うちはナックル型で、めいちゃん(森永明治)は刀な。理子ちゃん(綾式理子)は狙撃銃。遠くから狙ってうちらをサポートしてくれるんよ。これで攻撃すると、フール細胞を損傷させられる。中途半端やとめっちゃ超回復してくるから、どんどん攻撃せんとあかんねん。
あ、うちらもな、回復能力すごいねん。フールの力持っとるからな。
少々フールにやられても、体は修復できるから続けて戦えるねんけど、制服とかフール兵器は自動で直ったりせえへんから、まああんまり損傷が多いと全裸で戦うみたいになってまうな。R-18になってまうな。気ぃつけなな。
えーと、えー、うまいこと制圧できたカテゴリー3のフールは、「フールの力を抑え込めた」状態やねんな。で、それをうまいこと使いこなせたら、人間離れした身体能力と、回復能力が身に付くねん。だから、それを生かしてFCC隊員として働いている人がたくさんおるねん。
ただな、世間的には「カテゴリー3のフールはFCCに倒された、処理された」と思われとるわけよ。「カテゴリー3は悪」「カテゴリー3は災害」「カテゴリー3は人類の敵」と思う人も、まだまだいっぱいおるんよ。だから、そんな存在が実は生きていて、フールと戦っている、って聞いたらびっくりしてまうやろ。だからこれは秘密。一般の人は知らん機密情報。家族とかすらそれを知らんことが多いんよ。
一応めんどい手続き踏んで、家族に安否を知らせることもできんことはない。でも、それを公にしすぎると、結局FCC全体の秘密をばらすことになってまうからな。その手続きした人は多くはないねん。
うちの理子ちゃんは弟くんが近くに住んでるから、一応安否は知らせてあるはず。志摩隊のミドリちゃんもやな。ちょっと特別な状況なんやけど。
今回はこんな感じやね。
ちょくちょくFCC隊員が口挟みに来るから、またよろしくやで。
#8 橘英介は素直である
橘英介(たちばなえいすけ)は素直である。
母親が「17時には帰ってきなさい」と言えば、それに従った。寝る前にはトイレに行ったし、歯磨きは毎食後欠かさずしたし、どんなに仲の良い友だちでも自転車の二人乗りはしなかった。
「サイドを刈り上げるのは校則違反だ」と聞けば床屋での注文の仕方を変えたし、「制服を着崩すのはもうダサい」と聞けばきちっと制服を着るようになった。好き嫌いなくなんでも食べたし、どの教科もまんべんなくできたし、先輩からのアドバイスはなんでも素直に受け入れた。
良く言えば素直でまじめ、協調性がある。悪く言えば積極性と主体性がない。それが英介に対する周りの大人の評価だった。
あるとき、英介は町でデモ団体を見かけた。幅広い年齢層の男女が連なって歩いている。警察が周囲を警戒していたが、大声を出すものの暴力的な動きはないようだった。腕章や旗には「入れ替わり事象人権団体」とあった。
「呼称『フール』の撤廃!」
「撤廃!」
「入れ替わっても人間!」
「人間!」
曰く、入れ替わった者を「フール」と呼ぶことへの嫌悪感を表明しているらしい。
あまり考えたことはなかったが、確かに「フール」という呼び名は少し良くないという気もする。その代わり、「アナザー」だとか「ニア」と呼ぶべきだ、と叫んでいた。入れ替わり事象自体への研究は日々進み、人類の理解も進むが、それでもやはり「よくわからないもの」への畏怖はぬぐいきれないものだ。実際英介自身も、「よくわからない」という理由で怖がってしまっている部分はあった。
「カテゴリー3の遺族への、差別は絶対反対!」
「反対!」
「入れ替わり事象による、被害者の権利を守れ!」
「守れ!」
その人権団体の主張は、妙に英介の耳に残った。
あるとき、英介は唐突に恋に落ちた。
高校の入学式の日、自分の隣に座った少女は、あまりにも英介の好みにぴったりであった。控えめな所作、その横顔、自己紹介の時の鈴が転がるようなきれいな声。
英介は、これまで誰かを強く好きだと自覚したことがほとんどなかった。中学の頃、周りの男子が「誰が好きか」「誰が可愛いか」を嬉々として話しているのを見ながら、自分には恋心というものがないのかと落ち込んだこともあった。
どういう人が好きかなんて考えても思いつかなかったが、目の前に現れた彼女こそが自分の好みなのだと知った。順番が逆かもしれない。しかしそれでもいいと英介は思った。それほどまでに彼女との出会いは衝撃的であった。
「あ、えっと、おれ、橘。よ、よろしく」
たどたどしいあいさつだったが、彼女は素敵な微笑みを返してくれた。
「私、茅野みゆき。よろしくね、お隣さん」
よく見れば彼女は少し震えていた。新しい環境に緊張していたんだろう。そのうえで、自分の一生懸命なあいさつに健気に答えてくれた。それがさらに、英介の心に波を立てた。
入学式から数日、いつも英介の目は彼女を追いかけていた。いくらでも見たい。目に焼き付けたい。少しでもおしゃべりをしたい。彼女の好みや趣味について知りたい。同じ感動を共有したい。
夢のような日々だった。だが突然その日々は終わりを迎えた。
久しぶりに彼女を見かけた5月。
当たり障りのない会話が、英介の心を満たした。
だが……。
「おい、どしたん? 気分でも悪いん?」
授業中、急にうつむいて肩を震わせ始めた彼女を見て、英介は声をかけた。
よく見ると尋常ではない顔色。大量の脂汗。お腹でも痛いのだろうか。とにかく救急車を呼ぶべきでは。最低でもすぐに保健室に……。そう思った英介だったが、クラスメイトが叫んだ言葉を聞いて全身が凍り付いた。
「カテゴリー3や!!」
そこからの数分間のことを英介はほとんど覚えていない。
阿鼻叫喚の教室。教師の怒号。FCCへの通報。体育館地下への避難。
通常カテゴリー3のフールは変身し終わるまで約1分を要する。テレビでの知識だ。しかし誰もがそれを知っていた。だから1分以内に避難区域外へ出るかシェルターへ避難する。学生に限らず様々な施設や仕事場で避難訓練は行われている。
とはいえ、実際に隣人がカテゴリー3のフールを発現する様子を見た者はほとんどいない。ほとんどすべてがニュースになるが、実際の出来事として経験する人間は思いのほか少ない。同じ災害のようなものではあるが、広域を巻き込む台風や地震とは違うのだ。隣の町で起こっても気づかない。そこまで逃げてくるフールはいない。それだけFCCの活動は市民の安全を守っていた。
英介は必死に逃げた。たぶん。
必死に体育館の地下シェルターに同級生と飛び込んだ。たぶん。
気づけば英介はシェルターの片隅でガタガタと震えていて、FCCが彼女を処理するのをひどい気持ちで待っていた。カテゴリー3に遭遇したことも怖かったが、好きになった人がそうなってしまったことも震えるほど怖かった。FCCが彼女を処理するのをただ待っている自分も怖かったし、彼女がこの先どうなってしまうのか、おそらくどう楽観的に見てもいい結果は期待できないということが怖かった。
それから数十分が経ち、避難命令が解除され、学校はしばらくの間休校となった。
彼女は同じ中学の子がいなかったようで、ほとんど親しい友人がいないようだった。そういえば関西弁でもなかった。関東の方から引っ越してきた子だったのだろうか。そんなことも知らなかった。
彼女を失った喪失感と過ごしながら、数日が経った。
あるとき、ふと思い立って梅田の方へ出た。楽しい気持ちになりたいと思ったわけではなかった。ただ雑踏をふらふらと歩きたいと思ったのだ。
抜けるような青空。英介の心情とは真逆だった。
誰も彼もが、爽やかな顔で過ごしている。楽しい場所も、憩いの場所も、なんでもある町。だけど英介の心を満たしてくれる人は、もういない。この町にも、あの町にも、この世界のどこにも。そう思っていたのだが……。
FCC隊員のパトロールを見かけた。二人組で周囲を見回しながら歩いていた。体形から見て女性だろう。「あのとき」にも出動した人だろうか。それとも戦闘員ではないのだろうか。なにか情報が得られないだろうか。そんなことを考えながらぼーっと英介は見つめていた。
突然ぴくっと英介の体がはねた。
あの口元、笑ったときの口角の上がり方、歩き方、手の動かし方。
英介は知っていた。
「あ、あのっ!!」
思わず声をかけてしまった。迷惑だったかもしれないが、そんなことを配慮する余裕はなかった。メットで目は隠れているが、この口元は、絶対に……。
「……橘くん……!?」
やっぱり、茅野みゆきだった。英介が恋い焦がれ、わけもわからぬまま失って悲しみに暮れた相手だった。勘違いじゃなかった。英介は膝から崩れ落ちた。
「誰? 知り合い!?」
長身の女性が尋ねている。その声には少しとげがあった。
「あ、えっと、高校で隣の席だった……橘くん……です……」
「そう……ちょっとまずいことになったね……」
死んだと思っていた人が生きていて、FCCの制服に身を包んでいる。
しかもフールとなってFCCに処理されて死んだと思っていたのに。そういう意味ではFCCは仇ではないのだろうか。いやしかし現実に生きていて、命を救ってくれた相手なのだろうか。だとしたらその事実は公表すべきでは? 英介自身のように「死んだと思っていて悲しみに暮れている」人間がいるのだから。そうだ、彼女の両親は? このことを知っているのか? いや、そもそもこれは本人なのか? フールとして死んだ彼女の偽物とか? いや、もっと根本的なこととして、今ここで起こっていることは現実なのか? 自分に都合のいい夢なのでは? すぐに目が覚めて、やはり彼女は死んでいたと布団の中で絶望するだけなのでは?
英介の頭の中はぐるぐると色んな事を考えたが、もう処理が追いつきそうになかった。
ピピッ
みゆきの隣の女性がヘルメットを操作し、なんらかの電子音が鳴った。
「あれ、この子、フールだね。カテゴリー1だけど」
英介はその言葉をうまく処理できなかった。
#9 日野伊鶴は豪気である
日野伊鶴(ひのいづる)は豪気である。
大抵のことは笑って受け流すし、冗談は好きだし、自分がピンチでも困っている後輩のために動いてやりたいと思っている。自分や自分の命にそこまでこだわりがない。少し破滅的でもあるし、誰かと(特に上の人間と)喧嘩になることもいとわないし、FCCとして戦っているときに後輩を守るためなら自分が死んでも構わないし、伊鶴自身はそういう自分が気に入っている。
とはいえ後輩の持ち込んでくるトラブルを全部「はいはい、仕方ないねえ」と簡単に受け止める度量はないのだと実感することになってしまった。
「パトロール中に一般人に正体を知られたぁ!?」
これはかばいきれない。記憶抹消の措置が取られるかもしれない。
「しかも高校の同級生で!? 隣の席で!? 新隊員のことが好きで!? それで制服着てても仕草でバレたぁ!? はぁああああ!?」
伊鶴は目の前が真っ暗になりかけた。環はよくトラブルを持ち込んでくる後輩だが、可愛いやつだ。面倒を見たくなる可愛いやつだ。もともと自分の隊の隊員だった環は、数年前伊鶴が一線を引くと同時に隊長になった。それからも、こうして交流は続いているし、彼女が真っ先に自分を頼ってくれることは嬉しく思う。しかしなんだってこんなどでかいトラブルを引き寄せるかな、こいつは。
「伊鶴さあああん、助けてやあああ、せっかく4人揃った思たのに、こんなんでケチ付けたくないいいいい」
「伊鶴さん、あたしが迂闊だったんです。彼女の力を最大限生かそうと思って、繁華街に連れ出したりなんかしちゃったから……」
環は今にも泣きだしそうだ。
理子は責任を感じてしょぼくれてしまっている。
明治は……黙っているがこの事態を重く受け止めているらしいことは表情で分かった。
「すみません……なんと言ったらいいのか……」
新しく入ったというみゆきという少女(伊鶴は初めて会う)は、借りてきた猫というか小動物のように震えている。この子自身に落ち度はない。仕方のないことだ。
「すみません……まずかったですよね……い、言いふらしたりしないのでなにとぞ寛大な処置を……」
「で、君はなんでここにいるのかな!? ここFCCの拠点だよ!? 機密情報いっぱいだよ!? 一般人は入ってきたらだめでしょうが!! 誰が連れてきた!? ていうかなんで入れた!?」
当の橘英介くん本人もなぜかここにいた。
「え、フール!? カテゴリー1!? だからここに入れた。なるほど。バカ!!」
FCC大阪支部は街中にあるが、一般人が入れるスペースは限られている。
基本的にはFCC隊員はほとんどが元フールでフール細胞を有している。だから支部の中には、フール化したり、それに準ずる装備品を携帯したりした状態でないと入れないように作られている。地下通路も同じようなシステムだ。
だからと言ってフール本人を入れてどうする。
「だって伊鶴さん、この子ほっといたらもっとあかんかったと思わん?」
まあ、それはそうかもしれないが。
「ごめんね、橘くん、なんか変なことに巻き込んじゃって」
「いや、大丈夫、おれの方こそごめん。でも死んだと思ってたからさ、元気そうで本当に嬉しい」
「……うん……ありがとう」
みゆきと「橘くん」は初々しくお喋りをしている。
彼がフールだというのなら、元に戻る前にここを出れば記憶を抹消するまでもなく、本人はここでのことを覚えていない。しかし逆に考えれば、またフールが発現すればここでのことを思い出すのである。カテゴリー1なら、再度発現することも珍しくない。月に1回とか、それ以上の頻度で入れ替わる例もある。
「てゆーか、みゅっちが普通にお喋りできる男子って貴重やない? だいたいビクビクしとるもんねえ」
「橘くん相手なら普通に喋れるんだね」
「あ、えっと、橘くんはすごく優しい雰囲気というか、穏やかな感じで……」
「人畜無害って感じやんな」
「カテゴリー1だしね」
「無害認定……ってこと?」
「ちょ、ちょっとみなさん……」
「みゅっちの無害認定いただきましたー!」
「若いっていいなあー。いいないいなー」
「理子ちゃんも十分若いやん?」
「理子先輩も十分若いですよ?」
ああ、やだやだ。年取ったわ。
伊鶴はバレないようこっそりため息を吐いた。
つい何年か前までは子どもっぽいやり取りだわと受け取っていたはずなのに、今は若い会話についていけないわと感じている。理子の反応も、「私よりずっと若いあんたがなに言ってんのよ」と思ってしまう。
「オーミさんのこともまだちょっと怖がっとるもんなあ」
「……すごいね、あんなに優しい人いないのに」
「見た目やんなあ、見た目が大きいと怖いんやろ?」
「それなら八雲さんに会ったら気絶するかもね、怖い人オーラで」
「……まだ会わせないようにしましょう」
「どう好意的に見てもインテリヤクザやんなあ」
「やめなさい」
どうするべきか。伊鶴がこの件を相談された以上、知らないふりでは済まされない。しかしFCC隊員が「元の知り合い」と出会ってしまうことはこれまでほとんど報告されてこなかった。馴染みのある地域を外されることも原因の一つだが、そもそも「制服やヘルメットで身を包んだ隊員を見分けられた知り合い」がほとんどいなかったからだ。
「厄介だなあ……」
しかしこの場の年長者として、一定の結論を出さなければならない。
「よっしあんたら、私なりの解決策を今から言うから、よく聞きなさい」
雑談に脱線していた面々が姿勢を正して伊鶴の方を向く。橘くんも同じ姿勢だ。それが伊鶴には少しおかしかった。
「まずだね、今回のケースは非常にレアではある。それは彼がフールであること。元に戻れば、今回のことの記憶はない。ないはず。だよね?」
「え……は、はい、そもそもおれは自分がフールだったって、今日知りました」
「カテゴリー1の発現時間は長くて1週間程度。だから彼を見張って、今回の件の記憶がちゃんと消えているかを確認する。ちゃんと消えているようなら、つまりみゆきちゃんがFCC隊員になっていることを知らないようであれば、消すべき記憶もない。問題もない。とりあえずここまではOK?」
みんな神妙な顔をしてふんふんと頷いている。理子だけはちょっと心配そうな顔だ。やはりそう甘い話ではないと気づいているのだろう。
「しかし、だからと言ってフールと本人の記憶が、必ず、絶対に、100%共有されないという保証もない。君自身が書いた日記を本人が読むとか、ここで撮った写真を見てしまうとか、みゆきちゃんと連絡した痕跡を見つけるとか。だからここでのこと、今日知ったこと、君とみゆきちゃんの関係について、何ひとつ証拠を残してはならない。これを破れば君の記憶を抹消する必要が出てくる。それは嫌だろう?」
主に橘くんがふんふんと頷いている。
「で、今日以降、君たちはまったく連絡を取ることもなく、お互いを忘れて、みゆきちゃんはFCCとして、橘くんは一介の高校生として、それぞれの人生を歩む。橘くん、君は今すぐここから出て、振り返らずまっすぐ家まで帰って、また新しい恋をしなさい」
場の雰囲気がピンと張り詰めた。誰も彼も引きつった顔をしている。
今さっきまで仲良く話していたこの二人を引き裂くという提案をしているのだ。橘くんに至っては、みゆきのことが好きだとすでに公言している。それを引き裂くという提案。ロミオとジュリエットのような悲劇ではないか。いや、こんな例えは今の若い子には伝わらないか。フールと人間の許されざる恋。フールとFCC隊員の許されざる恋。
「……」
「……」
お通夜のような雰囲気になって少し可哀想に思えてきたので、意地悪を言うのはこれだけにしておこう。
「と、いうのは二人にとってはとても可哀想なので、特別に、橘くんには『フールでいる期間だけこのFCC大阪支部に出入りする』ことを許可します。許可するって言っても、私の一存では決められないからここらへんは提案であって、ちゃんと上層部にこの案を通さなきゃいけないけどね。で、その代わり、橘くんにはフールとしてのことをいろいろと教えてもらったり、こちらの検査や研究に協力してもらったりする。自分をフールとして自覚している人は貴重だからね」
二人の顔がみるみる晴れていく。
「君がまた現れたとき、つまりフール細胞があるとき、ここへは今の入口から入れる。本来は隊員しか入れない入口ね。学校帰りに寄りなさい。そして研究に協力する。親御さんには短期のバイトだとでも言っておけばいい」
「は、はい!」
嬉しそうだ。死んだと思っていた恋する相手にたびたび会いに来れるというのだ。そりゃあ嬉しいだろう。
自分にはもう失われた感情のような気がして、伊鶴は胸がちくりとした。
「で、ここにいる間に元に戻っちゃうとやばいので、えっと、橘くん、君がいつも肌身離さず着けているものとか、あるかな?」
「あ、この時計なら……中学の入学祝いで親からもらって以来、寝るときとお風呂以外、いつも着けてます」
「OKOK、じゃあその時計にちょっと細工をさせてもらって、『フール細胞が確認できなくなり次第電流を流して装着者を気絶させる機構』でも埋め込ませてもらおうかね」
橘くんの顔が青くなった。
「君がこっちの世界に来たことを自覚したら、その機構のスイッチを入れて、えっとこれはなかなか複雑な操作をしないといけないように工夫するとして、あ、そのスイッチが入ったらこっちにも連絡が来るようにした方がいいな。みゆきちゃんの端末と連携させようか。で、まあ3日くらいは大丈夫としても、5日目、6日目くらいはいつ戻っても大丈夫なように気をつけておかないといけないな……あ、そうか、大阪支部を出たら機構のスイッチ切ってもいいのか。毎回道端とか横断歩道とかで気絶するのはまずいもんな。えっとあと考えておくことは……」
ぶつぶつ言いながら考えをまとめる。
「ちょっと、あんたらも意見言いなさいな。上をちゃんと納得させる案に仕上げないと、最初に私が言った解決策になっちゃうよ!」
ここからが大変だ。しかし、この子たちのためにできることはやってやろう。それが先輩としての、日野伊鶴としての、頼ってくれたことに対しての姿勢だ。上層部と喧嘩になっても構わない。
日野伊鶴は豪気である。
伊鶴はそんな自分が気に入っている。
#10 佐原近江は心優しい
佐原近江(さはらおうみ)は心優しい。
「気は優しくて力持ち」を地で行くタイプである。細い目でいつもにこにこしているので、大柄な体でもあまり怖がられることはない。先日の北摂でのカテゴリー3事件の時も、志摩隊は現場で戦闘を行うことができなかったが、その代わり逃げ遅れた市民の避難誘導に力を尽くすことができた。近江が助けたお婆さんも、安心しきった顔をしていたのをよく覚えている。ヘルメットで顔の大部分が隠れているとはいえ、近江が醸し出す優しい人オーラは隠しきることができない。
「あ……ど、どうも……きょ、今日もよろしくお願いします……」
なのに、新しく入ったというこの新隊員には、なぜだか怖がられている。初めて顔を合わせたとき、近江にとってはあまり経験のないことだったのでひどく狼狽えてしまった。怖がられるなんて、めったにない体験だった。
「あ、うん、じゃあ、今日も始めようか」
気を取り直し、近江はこの新隊員にレクチャーを始めた。
「そうそう、安定してきたよ、その調子」
この新隊員は茅野みゆきと言うらしい。隊長の環から直々にお願いされているので、FCC隊員としての戦い方の基礎を教えることに何の抵抗もないが、どうやら彼女は男性が少し苦手らしいのだ。それなら隊の誰か(難波隊は全員が女性だ)に指導を受けた方がいいだろうに、なぜ環は近江にその役を依頼したのか。
「右に力が入ってるね。もう少し均等に。そうそう」
FCC大阪支部はどちらかと言うと男性隊員の方が多い。だから男性に慣れさせるためだろうか。それなら納得がいくが。墓石《はかいし》隊のメンバーなんかを選ばなくて本当に良かった。たぶんこの子はオオカミの群れに囲まれた羊みたいに震えることだろう。
「あ、ちょっと疲れてきたかな? 下半身が膨張してきてるよ! 人間らしいシルエットを維持して!」
「フールの力」は訓練で抑えることができる。訓練しなければ、暴れ回るカテゴリー3と同じような見た目になってしまう。しかしFCC隊員の戦闘の様子が万一市民に見られたとき、あまりにも人間離れした体で戦ってしまっていたら、制服で隠しているとはいえ「FCC隊員も化け物なのでは!?」と訝しがられてしまう。あえて一部を異形のまま戦う隊員もいるが、基本的には人間らしい体のかたちを維持するのが基本となっている。新人隊員にはまずそれを体で覚えてもらわなければならない。
「よっし、ちょっと休憩しよっか」
決して筋は悪くない。おどおどしているのだけが玉に瑕かもしれないが、ちゃんと鍛えれば強い戦闘員になれると近江は感じていた。
「お、近江さんの、その、変身したら格好が変わるのは、どういう仕組みなんですか? 私、まだパトロールの時は直接制服を着ているんですが……」
「ああ、えっとね、この制服とか武器とか、『フール体の方に登録しておく』んだよね。フール細胞の技術が取り入れられているから、そういうことができるらしくって」
「……?」
この説明ではわかりにくいか。でもこれ以上、近江にもうまく説明できない。
「とりあえず慣れてきたら、変身した後の姿に装備品を登録しておいて、そうすれば次に変身したときにもそのまま制服を着た状態でいられるから」
「はあ……なるほど」
「今はまだ、その変身状態を長時間維持することを頑張ろうね。武器の取り扱いは、そのあとね」
「はい!」
フール兵器の取り扱いは、まだまだこれからだ。
まずはこの体で、自由自在に動けるようになること。
そうすれば、素手でも十分に戦闘に加わることができる。FCC隊員にはそれだけの力がある。
「ぼくねえ、最初『フール兵器』って聞いたときに、『ホールケーキ』と聞き間違えてねえ。ちょうどお腹が空いてたもんだから、よだれ出ちゃいそうになったんだよね」
「……はあ」
近江渾身の冗談もみゆきには通じなかったようだ。
がっくりと肩を落とす。
「お、近江さんは、フールと戦うとき、どんなことを考えていますか?」
珍しくみゆきが話題を振ってくれるので、喜んで応じる。
「なんとなくね、フールも同じ人間、って思っちゃうんだよね。だからできる限り苦しまないように、短い時間で、きっちり『処理』してあげたいんだよね」
「短い時間で……ですか……」
「君のところの環ちゃんなんかは、とどめを刺すのに向いているフール兵器を持ってるよ。君を最後倒したときも、きっとそれで」
本人が思い出すことはできないだろうけど、みゆきが「処理」されたときの難波隊の戦いの様子は大まかに近江の耳にも入っている。
「大体どの隊にも、とどめを刺すのにふさわしい、というか向いている隊員がいてね。うちの隊だと、ぼくだね。鶏介くんと翠ちゃんが近距離で翻弄してくれて、隊長が足止めをしてくれて、で、ぼくが最後、ショットガン型のフール兵器で倒す、って感じ」
考えていることの話だったのに、戦い方の話にすり替わってしまった。慌てて話題を戻す。
「FCCは元フールの集まりだからね。だから、フールに恨みがあるとか、苦しませて殺してやるとか、そんなふうに考える人はほとんどいないんじゃないかな。なるべく救いたい、そう思っているはずだよ」
「そう……ですか……」
彼女の表情からは、近江の話がどう響いたか窺い知ることはできなかった。だが、この話以降、彼女の訓練中の集中力はぐっと増したと近江は感じた。これなら武器の取り扱いの指導もそう遠くない、と近江は嬉しくなった。
仲間が強くなるのは、誰だって嬉しいのである。
……いや、例外もいるが。
――――――
「じゃあ次は、この訓練室の壁沿いを2周しようか。もちろんフール化を維持したままでね」
「は、はい! 走るんですね?」
「走れるなら」
「……」
意識して体を維持するのは初歩であり、FCC隊員として戦うのであればまったくの無意識でその体を維持できなければいけない。
近江も最初はなかなかできるようにならなかった。「走る」ことと「体を維持すること」を同時に行おうと意識してしまい、どちらも上手くいかなかったのだ。その感覚を今も覚えている。
「最初は『リフティングしながらラーメンを食べろ』って言われたみたいで、なかなかできなかったよ、ぼくも」
どちらも中途半端になってしまう。
「それが慣れてくると、『ウインカーを左に出して右折する』くらいの感覚になってきて、今では『息をしながら歩く』くらいの感覚でできるようになったよ」
「はあ……なるほど?」
この例えも伝わりにくかっただろうか。どうもそういう感覚のところを教えるのは苦手だ。環や、理子先輩の方がずっとうまいかもしれない。彼女たちには「近江は教えるのがうまい」と誤解されているようだが、優しい人オーラでごまかせていただけなのかもしれない。
「ま、とりあえずやってみよう」
「はい!」
「15分くらいだね。まあまあ、いい感じ」
「そ、そうですか?」
ふるふると震えながらみゆきが帰ってきた。
もちろん走るなんてとんでもなくて、ゆっくり足元を確かめるようにしながら、しかしフール化は一度も解くことなく2周して帰ってきた。
「最終的な目標タイムは、1分」
「い、いいい、1分!?」
「たとえばカテゴリー3が発現して、変身し終わって暴れ回るまで、だいたい1分。状況によっては1分で周辺の人たちが避難できないこともある。だから1秒でも早く、ぼくらは現場に着かないといけない。地下道のワープ設備で大阪府内ならどこでもすぐに駆けつけられるけど、それでも外に出たら自分の足で走ったり跳んだりしないといけない」
「……」
「ごめんごめん、先の話をし過ぎたね。まずは、明日、14分をめざそうね」
「は、はい……」
実は近江自身は1分ちょうどくらいである。速い隊員は近江の半分くらいである。しかしそれは内緒にしておいた。
――――――
「うん、今日はこれくらいにしておこうか」
「……はいっ……ありがとう……ございました」
みゆきが肩で息をするようになってきたので、お開きにすることにした。
「フール化、だいたい1時間は持つようになったね。訓練し始めでこれなら、十分な成長だと思うよ」
まだ少しぶれるが、長く持つようになってきた。
「カテゴリー3の発現時間はだいたい長くて2時間くらいだから、一応それを目標として伸ばしていこうね」
「は、はい!」
「まあ、ここまでで十分すぎるくらい順調だから、焦らないようにね」
「はい、あの……」
「ん?」
「みなさん、どれくらい長く変身していられるんですか?」
「そうだねえ……ぼくはだいたい4時間くらい、短い人でも2時間はクリアしてるね。一番長い人は16時間くらいだったかな」
「じゅ……!?」
「まあ、そんなのは特別だから、みゆきちゃんはまずは2時間が目標ね」
「は、はい……」
焦らせてはいけない。
ゆっくりじっくり強くなっていけばいい。その道しるべに自分がなれればいい。
「じゃあ、また明日。環ちゃんたちによろしく」
近江は笑顔で送り出した。
茅野みゆき(かやのみゆき)は臆病である。
「お、お、怖がらんでえーよー、難波(なんば)隊の環(たまき)や、よろしく」
みゆきが寝ていた休養室に突然入り込んできた女性が、早口でみゆきに話しかける。
荒っぽい関西弁が怖い。大阪に引っ越してきて1ヶ月経っても、慣れない。
「みゆきちゃん、言うんやな。高校1年生? なったばっか? ほなうちより二つ歳下やね」
「……」
「高校生なったばっかやったのに、災難やったね。でももう大丈夫、あんたのフールは抑え込んだで。気分はどない?」
「……」
「ふつう?」
「……は、はい……」
知らない人との沈黙が怖い。だけどこちらから積極的に会話を弾ませる技術もない。FCC専属の保健医だと言っていた女性の姿は見えない。他の人の気配もない。もちろんみゆきの知り合いがここに来てくれる可能性はゼロに等しい。
茅野みゆきは臆病である。
まだ返ってきていないテスト用紙が怖い。生活環境の変化が怖い。大柄な男の人が怖い。知らない男の子に告白されるのが怖い。夜の学校が怖い。姿の見えない虫の音が怖い。無邪気な同調圧力が怖い。流行りを追いかけることが当たり前だという風潮が怖い。罪なき者を傷つける犯罪者が怖い。
そんなみゆきだったので、自分がフールとなって誰かを傷つけることを特に恐れていた。テレビで時折耳にする、「カテゴリー3がこれだけの被害を出した」云々というニュースですら十分に怖かったのに、それが自分のことを報じるだなんて。
「なぜ自分が生きているのか」はわからない。ただ、保健医やFCCの職員の言うところによると、自分はカテゴリー3で、授業中にフールが発現して、FCCの戦闘員に倒されて、フールの力は封じ込められた、と。そういう感じの話だった。
フール関係の事件の映像はFCCによってほとんど制限されており、名前や顔写真ですらニュースには出ない。ただフールが発生した地域と、その被害の規模と、あたりさわりのない地域住民のインタビューと、それくらいだ。対応にあたったFCCの戦闘員の情報もほとんど出ない。当然みゆき自身の情報も出ていないはずだ。
それでも。それでもみゆきは自分のニュースを見ることができなかった。
「あんたが悪意を持って誰かを傷つけたわけじゃない。あんたの中のフールが、好き勝手暴れただけやんか。あんた自身の人格になんも問題ない。それでも見られへんの?」
そう言われても、そんなに簡単には割り切れなかった。みゆきはある意味でひどく自罰的だ。他者を攻撃したり原因を他者に押し付けたりするくらいなら、「自分が悪かった」と反省する方が、ずっと安心できた。
「私が悪いんだから、いっそそのまま殺してくれてもよかったのに」
「あほ!!」
大きな声がみゆきの頬を打つようだった。環が発した声は、暴力よりも鋭かった。
「フールの発現は事故みたいなもんや! たまたま車が歩道に突っ込んで、たまたま歩いてたあんたが怪我して、誰かあんたを責めるか? 責めへんやろ? 突っ込んだ車の方を責めるやろ?」
「でも、その車自体も、私自身じゃないですか」
「ちゃう!! フールは『別の自分』や。全然別人格や。特にカテゴリー3なんかはな。暴れたときの記憶あるんか? ないやろ? あんたが気に病むことちゃう」
「でも、でも、お父さんにもお母さんにも謝れなくて、心配だけかけて、こんな……」
「……家族への情報開示は、条件がめっちゃ厳しいけど、できんことはない。ただ、ちょっと、いろいろ書類とかめんどいけど、うん、できんことはないで」
それは本当の話だろうか。言いよどむのは、実際それをした人がほとんどいないからじゃないだろうか。
「実際、FCC隊員のほとんどは『元フール』や。うちもそうやで?」
「え!? え、そ、そうなんですか!? え? 本当に?」
「だから、『殺してくれた方がよかった』とか言わんといて」
「……すみません」
それは知らなかった。
というか、誰も知らないんじゃないだろうか。処理されたフールが生きていて、隊員になっているなんて、そんなこと、誰も。
「あなたは……家族に生きてるって、伝えられたんですか?」
「うち……両親とも死んどるから、その制度は使ってへん」
「あ……」
悪いことを聞いた、とみゆきはうつむいた。
「気にせんでええよ、だいぶ前の話やし」
ひらひらと手を振りながら気軽そうに言うが、本心ではなさそうだ。
「……できるなら……家族に伝えたい……そうしたい気持ちが大きいです」
「OKOK、うちの隊に入ってくれるなら、そのために動いたげる」
「隊に……入る?」
「そ、カテゴリー3のフール発現したやつは、世間的には死んでるやろ? でもあんた、生きてるやろ?」
「はあ……」
「それは、フールの力を『隷属化できた』ってことやねん。まあ訓練とかは必要やけど、一般人よりずっとずっと強い力持っとるんよ。せやから、その力生かして、影で世界を救う『FCC隊員』になってほしいな、と、そう思っとるわけ。あ、もちろん戦闘員な」
「私……運動できません……」
「いやいや、フールの時の力は、なかなかやったで。うちらでも結構手こずったし」
「覚えてませんよ……そのときのことなんて……」
「まあまあ、とにかく、一回ゆっくり考えてみて。うちの隊、女子隊員募集中やねん」
ニカッ、と快活に笑うその人は、とても眩しかった。
きっとこの人も、今のみゆきみたいな心境のころがあったはずだ。フールとして暴れて、制圧された過去があるはずだ。みゆきはそれを思って複雑だった。
……でも、この人も、私と同じ「色」をしている。
これまでめったに出会うことはなかったのに。
「あの……環さん……」
「環隊長、って呼んで。難波隊長でもええけど、うち自分の名字あんま好きちゃうねん」
「環」は下の名だったのか。
というか若く見えるけど、みゆきより二つ年上ってことはまだ18歳だろうけど、それで隊長だったのか。隊長というのがどういう立場なのか、みゆきは知らないのだが。
「いやまだ入隊しませんけど」
「まあええやん細かいことは気にせんで。で、なに? みゆきちゃん」
「環さん、人のオーラって見えますか?」
「は? オーラ? 見えへんけど? なにあんた、占いとか好きなん?」
「いや、そういう訳ではなく……」
「うちのオーラ、濁ってるからこの壺買え、とかこの数珠買え、とか言わんやろね」
「言いませんよそんな詐欺師みたいな」
「あっはっは、詐欺師ちゃうかったか」
ずっと鏡を見ながら、この色はなんなんだろうとみゆきは思っていた。
周りの人間を見回しても、みんな「色が薄かった」のだ。自分と同じような色をした人は、ほとんど見たことがなかったのだ。ごくまれに「色が濃い」人を見かけても、自分との共通点がまるでわからなかった。それに、そういう人たちはすべて「他人」だった。テレビで見かけたり、人混みの中にいたり。そんな人に「あなた、私と同じ色のオーラをしていますが、どうしてですか?」なんて聞けなかった。それこそ詐欺師だとしか思われないだろう。もしくは頭のおかしい人か。だからみゆきは、高校生になっても自分だけに見えるこの「色」が、一体なんなのかわからないままだった。
「私、ずっと人の『色』を見てきたんです。自分の色と同じ色の人、ほとんど出会ったことなかったんです。でも、環さん、私と同じ色をしています」
「……ふうん」
「それって、オーラみたいなものかな、ってずっと思ってました。でも、よくわからなくて」
「それって、写真でも見えんの? その、オーラ?」
「……はい、一応」
「ほな、この写真見て、色教えてくれへん?」
環が差し出した端末に、環を含めた数人の女性が映っていた。
「えっと……え、え、みんな同じ色……です……みんな色が濃い……私と……同じ色です……こんなにいっぱい集まってるの、見たことない……」
環が息を飲んだ。
「ほな、ほな、こっちの写真は!?」
また環が端末を操作し、別の写真を示した。今度は年配の男女が4人映っている。
「……こっちも……みんな色が濃い……です……でも……」
「……でも?」
「このおじさんだけ……他の人よりは少し薄いです。この色の人は……ときどき見かけました……」
「!!」
突然環がみゆきを抱きしめた。
「きゃっ!!」
すぐに体を離すと、満面の笑みで、嬉しそうに、それこそ何億円レベルの宝くじが当たったみたいな顔でみゆきを見つめる。
「みゆきちゃん、なにがなんでもうちの隊に入ってもらうで、もう決めた!」
彼女がなにに興奮しているのか、わけがわからない。
だけどみゆきは、平凡だった自分の人生が少し動き出したことを予感していた。
#7 綾式理子は和を重んじる
綾式理子(あやしきりこ)は和を重んじる。
その場の雰囲気にそぐわないことは言わない。その場に必要ないことはしない。口では「大丈夫」と言っていても、顔が大丈夫そうでない場合はケアを怠らない。もちろん、理子のおせっかいを必要としていないであろう場合は手を出さない。
昔からこうではなかった。空気を読むのが得意な子どもではなかった。FCCには、本当に様々な人たちがいる。老若男女、クセの強いのも穏やかなのも、勝気なのも嫌味っぽいのも鈍感なのもいる。そんな中で険悪になった隊員は居場所がない。脱退するわけにもいかない。喧嘩別れするわけにもいかない。我慢していればほころびが出る。そうなれば周りの人間も気を遣う。だから、自分が率先してそうならないように立ち回るのが得意になっただけだった。
綾式理子は和を重んじる。
だいたいどんな相手でもそつなくやっていけると思っている。もともとは別の隊にいた理子だったが、環が隊長に就任するタイミングで引き抜かれた。どちらの隊にも未来のビジョンがあったので、理子は自分が移籍することが大阪支部のためになると思った。だから今現在、難波隊にいるというだけで、今後また隊編成が変わることがあれば、異動することに抵抗はない。
「理子ちゃん! この子、うちの隊に入れたいねん! みゆきちゃん言うねん! こないだうちらが倒した子!!」
環が、この間自分たちで倒したばかりの元フールの女の子を引っぱって隊室に連れてきたときは驚いた。
「この子な、なんとな、聞いて驚かんといてよ。すごいねん。歴史に名を刻むでこれはほんま」
「はよ言って」
「フール化してなくても、見た人のカテゴリーわかるらしいねん!!」
「……それはすごいわ」
本当だろうか。フール化している人間には「フール細胞」というものが存在する。無意識にフール化している人間も、自分たちのような元フールの隊員も。身体にフール細胞があればそれをレーダーで追える。そういう技術がFCCにはある。現にこの子が暴れたときも、オペレータールームが正確に居場所を突き止めて、現場に向かうことができた。
「あたし、カテゴリーなにに見える?」
「……私と……同じ色に見えます……」
「そ、この子な、色で見えてるらしいねん。濃い色がカテゴリー3、ちょっと薄めならカテゴリー2、みたいに」
「わ、私、そんなカテゴリーが見えてたとかわからないんですけど……単にオーラの色がちょっと違うな、くらいの……」
「うちの隊員のカテゴリーも全部見分けてたし、ヤギさんの隊も全員正解してたで」
宮城さんの隊も……。それは、本物かもしれない。あの隊にはカテゴリー2の珍しい隊員が一人いる。それを言い当てたとしたら、確かだ。
しかも驚くべきことに、理子も環も今は「フール化を解いている」のだ。つまりただの人間である。レーダーにも反応しない。にもかかわらず言い当てた。
「みゆきちゃん、って言ったね。あなたを難波隊に正式に勧誘します。事務的な処理はすべてこちらで。フール化する訓練とか、FCCに関するいろいろとか、フールに関する勉強もしてもらいたい。一般市民が知らない重要機密も含めて」
理子はこの隊で最年長だ。隊長は環だが、舵取りは理子が行うことも多い。環もそれを期待してくれている。この子のために、そしてこの隊のためにどう動くのが一番よいかをよく考える。
「あ、でも大阪出身の子は大阪支部に入れにくいんだけど、それはわかってるの?」
「!! 説明してへんかった!!」
「え、えっと、私まだ入隊する覚悟はできてないんですが……」
「あれ、そうなの?」
無理に入れるのは理子の望むことではない。
フールとして制圧された人間はその能力上、FCC隊員に向いているとはいっても、拒否する人もいるのだ。高齢だったり、幼すぎたり、戦うことに向いていなかったり、性格的に問題があったり。
「ゆっくり決断してくれたらええよ。ただ入隊する気ぃがあるんやったら、他の隊にはやらん!」
「女子隊員募集中だからね、うち」
「そうそう、他の隊男ばっかやから、うちにしとき!」
「ふぇ、は、はい……」
この子は少し恥ずかしがりというか、引っ込み思案な子に見える。ばりばり戦闘をするタイプには見えない。明治は物静かだが戦闘に向いている。環は言わずもがなバトル向きの性格。理子は冷静に戦局を見るタイプだ。だがこの子は……。
いや、それを差し引いても「カテゴリーを見分けられる」というのは喉から手が出るほど欲しい人材だ。
「大阪にずっと住んでいたの?」
「あ、いえ、最近父の転勤で引っ越してきたばかりで……」
「あ、そうなんだ」
「まだ1ヶ月くらいです」
「そっか……慣れない地で、大変だったね。高校生活も始まったばかりだったんじゃない?」
「……」
「わけもわからないまま、こんなことになって、大変だったと思う。いろいろと保健医さんから聞いているかもしれないけど、まだ情報がいっぱいでよくわかんないでしょ」
「そう……ですね」
「とにかくゆっくり、気を落ち着かせて、入隊とかそんな話はあとでも大丈夫」
「あ、ありがとうございます」
環なら気が急いて「え、じゃあ大阪支部入るのに支障ないやん! ラッキー!」くらい言ったかもしれないが、事件直後の女の子にかける言葉としては配慮に欠けている。混乱したまま無理に入隊を決めさせるのは可哀想だ。ゆっくり決めさせるべきだ。
「ほら、隊長、彼女を休養室に帰してあげて」
「あ、うん」
「またね、みゆきちゃん。とりあえずはこの施設で養生して、心を落ち着かせて、それから返事を聞かせて?」
「あ、はい、ありがとうございます」
――――――
「いやあ、あんときの理子ちゃん、うちよりよっぽど隊長やったわ」
「人生の年季が少しだけ長いだけよ。うちの隊長は環でしょ」
結局数日経って、茅野みゆきは正式に難波隊に入ることになった。大阪に住んでいて大阪で事件になったが、それでも大阪支部に入ることを上に認めさせた。
「戦闘には向いてへん気ぃもするけどな」
「そのへんはオーミくんがうまく教えてくれるでしょう」
「オーミさん教えるのうまいもんなあ」
「戦術指南は彼に任せるとして、それ以外の面倒ないろいろはあたしたちでやらないとね」
「うーい」
FCCの新入りが覚えることはとてつもなく多い。一般市民が知らないことも常識として知っておいてもらわないといけないし、それを市民に漏えいすることは重大な規律違反だし、戦闘訓練もあるし、そもそもフール化をうまく扱えるようになっていかないといけない。いろいろな検査も必要だし、大阪支部の人間への面通しも必要だし、両親に無事を伝えるための面倒な手続きのあれこれもある。
「嬉しそうやな、理子ちゃん」
「そりゃあだって、4人揃ったんだもんね、ようやく」
「せやな、これでもう3人部隊とか言わせへん」
「しつこくミドリちゃんを勧誘することもしなくて済むね」
「いや普通に5人部隊めざすんもありちゃう?」
「ありちゃうわ」
ときどきしか関西弁が出ない理子である。関西出身ではあるが、あまり関西弁を出さないようにしている。和を重んじる身としては、「関西弁の通じにくい大阪支部で関西弁を話すことにメリットが少ない」からである。環はなにも気にせず関西弁を使いまくるが、彼女は例外である。そもそも標準語を話す環は気持ちが悪い。
慣例であってルールではないのだが、大阪になじみの深い人物がカテゴリー3となって暴れ、FCCに制圧された場合、FCC大阪支部には配属されにくい。なぜなら一般市民からすれば「死んだはずの人間」として認識されているからである。知り合いや親族が多いほど、パトロールや戦闘行為で一般市民の目に触れるたびに正体がバレてしまう危険性がある。
「うちの息子はフールとして死んだはずなのに、なぜかFCCの制服に身を包み別のフールと戦っていた!」なんてことになってしまう。「本当にあった怖い話」になってしまう。ニュースにフールの顔写真と名前は絶対に出ない。しかし直接の知り合いは別だ。噂程度でも知ってしまっていることが多いだろう。
そのため、FCCに入隊したとしても、なじみの薄い地域に配属されることが多い。環やみゆきの場合は珍しいと言わざるを得ない。とはいえ、みゆきは大阪にまだなじみが薄いと判断されたのだろう。リスクは低い、と理子は思っていた。理子に限らず多くの人間がそうだった。これは楽観的観測だったと、後になってわかる。
――――――
「今見える範囲でカテゴリー3は?」
「……いません」
「OK、ちょっと場所変えようか」
理子とみゆきは昼の繁華街に出ていた。行き交う人を見ながら、潜在的カテゴリー3の人物を事前に見つけ出しておこうという目論見だ。パトロールもしながら、一石二鳥である。
もちろんパトロールなので、みゆきもきっちりとFCCの制服に身を包んでいる。正直まだ着こなせているとは言いがたいが、形から入るのも大事だと理子は思っている。
「理子先輩、狙撃手なんですよね? やっぱり目がすごくいいんですか?」
「んー? そんなことないよ? スコープの精度が高いだけだよー」
「最近環隊長が私のことを『みゅっち』って呼ぶんですよ」
「『みゅっち』!? それちょっと呼びにくくない? 『みゆっち』とか『みゆきっち』ならわかるんだけど」
「私もそう思うんですけど、なんか気に入っちゃったみたいで……」
「新しい後輩ができて嬉しいのかな。ほんとにヤだったら、言いなよ?」
「はい、あ、いえ、嫌では全然ないんですけど」
「最近オーミくんに、戦術について学んでるんでしょ? 成果はどう?」
「すごくためになるというか、私には未知の世界過ぎてすごく難しいけど面白いです!」
「そっかそっか、FCCの装備に慣れてきたら、難波隊全員で訓練もしたいねえ」
「そうですね! ……でも、ちょっとだけ、近江先輩、怖いです」
「あっはっは、まあ彼、大きいもんねえ」
「みゆきちゃんに見えているオーラって、どれくらい離れてても見えるものなの?」
「えっと、そうですね、あのビルの入口らへんにいる人くらいまでは、判別できます」
「なるほど、なるほど」
雑談をしながら、人ごみに目を向ける。別にフールが普段から挙動不審とかそういうことではないが、それでもパトロールを自称するのだから怪しい人物に目がいってしまう。理子は「フール対策委員会」だが、フール以外の迷惑な一般人への対処も行うことがある。気は進まないが。
ピピッ
ときどきヘルメットのレーダーでフールの存在も確認する。普通に街中に溶け込んでいるのなら、ほとんどがカテゴリー1、悪くてもカテゴリー2だ。しかしそのすべてが平和で心優しいとは限らない。過去にはカテゴリー2が暴れ回ったこともある。
まあ、それを言い出したら、単なる人間が暴れ回ることだってある。覚せい剤で頭がおかしくなった男が包丁を振り回した事件だってこの辺りで起こったことがある。何事も絶対はない。理子は気休め程度に周囲のフールを確認した。いないことはないが、気にするほどではなさそうだ。
「ここからなら見やすいですね」
「ね、程よい距離感で、360度見渡せるし」
いつものパトロールとは少しポイントが違うが、みゆきに広範囲を見てもらうためのルートを取っていた。これからはたびたび一緒にパトロールを行おう。それが今後のFCCとしての活動を楽にするはずだ。たっぷり働いてもらった後は、美味しいスイーツでもご馳走しよう。チョコのたっぷりかかったドーナツはどうだろう。それともパンケーキ? いやしかしテイクアウトしやすいものの方がいいよね。和菓子の方が好きかな? それなら明治ちゃんにおすすめを訊いた方がいいだろうか。
理子がそんな物思いにふけっていると、みゆきに声をかける人間がいた。
「あ、あのっ!!」
なんだろう。道でも尋ねたいのだろうか。
だがその少年は、FCC隊員に用があるという様子ではなく、みゆき本人に用がある、と言った顔をしていた。
「……橘くん……!?」
え?
みゆきのこの反応は……直接の知り合い……!?
まずいことになった。
理子は己のうかつさと運の悪さを呪った。
#7.5 教えて! 環隊長!
まいど! FCC大阪支部、難波隊の隊長、環や!
今日はうちが、FCCとはなんぞや、フールとはなんぞや、いうことを教えるで!
一応おさらい的なことばっかやから、飛ばしてもOKやで! でもせっかくうちがあれやこれや喋るから、まあ、できたら聞いてもらえるとありがたいかな。
まずやね、今から40年以上前に、世界で初めて「フール」いうもんが認識されたん。アメリカの小さい子どもの事例な。なんかお母さんの髪の長さが、あっちの世界とこっちの世界で違ったから気づいたらしいで。もしかしたらその前にも同じことが起こってたかもわからんけど、歴史上最初やと言われてるのはその事例やねん。
ほんで、入れ替わった人間にもええやつ(無害なやつ)と悪いやつ(有害なやつ)がおってな、カテゴリー分けされるようになったんよ。
カテゴリー1は、ふつうに日常的にそこらにおるやつ。周りが気づくこともあるけど、基本的に無害やからほったらかし。『無害認定』とも呼ばれとるな。でも向こうの自分と記憶は共有してないみたいやし、行ったり来たりしてる間の印象も曖昧みたい。だいたい長くて1週間くらいで元に戻るねんけど、複数回入れ替わったりする人も珍しくないな。頻繁な例やと月イチくらいで入れ替わる人もおるんやて。
で、次がカテゴリー2な。これもたまにそこらにおるけど、ちょっと荒っぽくなるっていうか、攻撃的やったり粗暴やったりするみたい。これは『注意認定』って呼ばれたりもする。犯罪に走ったりすることもたまにあるから、ちょっと要注意やね。目立つ場合はFCCの監視がつくこともあるで。1日から数日で元に戻るんやけど、これは周りの人も気づきやすい。カテゴリー2の人は、周囲から避けられたりしがちで、それが問題になったりもするな。
ほんで、カテゴリー3な。これは『有害認定』言うて、FCCによる討伐の対象になる。でも殺すんやなく、瀕死にする。いつからかそう決まってん。せやからうちらは「必殺技」とか使わんのよ。殺すんが目的ちゃうからな。これなー長くて2時間くらいで戻るんやけど、2時間もほっといたら甚大な被害が出るから、とにかく短期決戦で制圧せなあかんな。あ、カテゴリー3が発現した人はほぼほぼFCCに制圧されてるんやけど、実は逃げてしまったやつもおるんよ。日本の話ちゃうねんけどな。もともと闇の世界の住人? らしくて? 次出てきたら絶対すぐ制圧せなあかんな。
フールには「フール細胞」いうもんがあって、これを攻撃するための兵器を「フール兵器」っていうねん。うちらはみんなそれ持ってる。うちはナックル型で、めいちゃん(森永明治)は刀な。理子ちゃん(綾式理子)は狙撃銃。遠くから狙ってうちらをサポートしてくれるんよ。これで攻撃すると、フール細胞を損傷させられる。中途半端やとめっちゃ超回復してくるから、どんどん攻撃せんとあかんねん。
あ、うちらもな、回復能力すごいねん。フールの力持っとるからな。
少々フールにやられても、体は修復できるから続けて戦えるねんけど、制服とかフール兵器は自動で直ったりせえへんから、まああんまり損傷が多いと全裸で戦うみたいになってまうな。R-18になってまうな。気ぃつけなな。
えーと、えー、うまいこと制圧できたカテゴリー3のフールは、「フールの力を抑え込めた」状態やねんな。で、それをうまいこと使いこなせたら、人間離れした身体能力と、回復能力が身に付くねん。だから、それを生かしてFCC隊員として働いている人がたくさんおるねん。
ただな、世間的には「カテゴリー3のフールはFCCに倒された、処理された」と思われとるわけよ。「カテゴリー3は悪」「カテゴリー3は災害」「カテゴリー3は人類の敵」と思う人も、まだまだいっぱいおるんよ。だから、そんな存在が実は生きていて、フールと戦っている、って聞いたらびっくりしてまうやろ。だからこれは秘密。一般の人は知らん機密情報。家族とかすらそれを知らんことが多いんよ。
一応めんどい手続き踏んで、家族に安否を知らせることもできんことはない。でも、それを公にしすぎると、結局FCC全体の秘密をばらすことになってまうからな。その手続きした人は多くはないねん。
うちの理子ちゃんは弟くんが近くに住んでるから、一応安否は知らせてあるはず。志摩隊のミドリちゃんもやな。ちょっと特別な状況なんやけど。
今回はこんな感じやね。
ちょくちょくFCC隊員が口挟みに来るから、またよろしくやで。
#8 橘英介は素直である
橘英介(たちばなえいすけ)は素直である。
母親が「17時には帰ってきなさい」と言えば、それに従った。寝る前にはトイレに行ったし、歯磨きは毎食後欠かさずしたし、どんなに仲の良い友だちでも自転車の二人乗りはしなかった。
「サイドを刈り上げるのは校則違反だ」と聞けば床屋での注文の仕方を変えたし、「制服を着崩すのはもうダサい」と聞けばきちっと制服を着るようになった。好き嫌いなくなんでも食べたし、どの教科もまんべんなくできたし、先輩からのアドバイスはなんでも素直に受け入れた。
良く言えば素直でまじめ、協調性がある。悪く言えば積極性と主体性がない。それが英介に対する周りの大人の評価だった。
あるとき、英介は町でデモ団体を見かけた。幅広い年齢層の男女が連なって歩いている。警察が周囲を警戒していたが、大声を出すものの暴力的な動きはないようだった。腕章や旗には「入れ替わり事象人権団体」とあった。
「呼称『フール』の撤廃!」
「撤廃!」
「入れ替わっても人間!」
「人間!」
曰く、入れ替わった者を「フール」と呼ぶことへの嫌悪感を表明しているらしい。
あまり考えたことはなかったが、確かに「フール」という呼び名は少し良くないという気もする。その代わり、「アナザー」だとか「ニア」と呼ぶべきだ、と叫んでいた。入れ替わり事象自体への研究は日々進み、人類の理解も進むが、それでもやはり「よくわからないもの」への畏怖はぬぐいきれないものだ。実際英介自身も、「よくわからない」という理由で怖がってしまっている部分はあった。
「カテゴリー3の遺族への、差別は絶対反対!」
「反対!」
「入れ替わり事象による、被害者の権利を守れ!」
「守れ!」
その人権団体の主張は、妙に英介の耳に残った。
あるとき、英介は唐突に恋に落ちた。
高校の入学式の日、自分の隣に座った少女は、あまりにも英介の好みにぴったりであった。控えめな所作、その横顔、自己紹介の時の鈴が転がるようなきれいな声。
英介は、これまで誰かを強く好きだと自覚したことがほとんどなかった。中学の頃、周りの男子が「誰が好きか」「誰が可愛いか」を嬉々として話しているのを見ながら、自分には恋心というものがないのかと落ち込んだこともあった。
どういう人が好きかなんて考えても思いつかなかったが、目の前に現れた彼女こそが自分の好みなのだと知った。順番が逆かもしれない。しかしそれでもいいと英介は思った。それほどまでに彼女との出会いは衝撃的であった。
「あ、えっと、おれ、橘。よ、よろしく」
たどたどしいあいさつだったが、彼女は素敵な微笑みを返してくれた。
「私、茅野みゆき。よろしくね、お隣さん」
よく見れば彼女は少し震えていた。新しい環境に緊張していたんだろう。そのうえで、自分の一生懸命なあいさつに健気に答えてくれた。それがさらに、英介の心に波を立てた。
入学式から数日、いつも英介の目は彼女を追いかけていた。いくらでも見たい。目に焼き付けたい。少しでもおしゃべりをしたい。彼女の好みや趣味について知りたい。同じ感動を共有したい。
夢のような日々だった。だが突然その日々は終わりを迎えた。
久しぶりに彼女を見かけた5月。
当たり障りのない会話が、英介の心を満たした。
だが……。
「おい、どしたん? 気分でも悪いん?」
授業中、急にうつむいて肩を震わせ始めた彼女を見て、英介は声をかけた。
よく見ると尋常ではない顔色。大量の脂汗。お腹でも痛いのだろうか。とにかく救急車を呼ぶべきでは。最低でもすぐに保健室に……。そう思った英介だったが、クラスメイトが叫んだ言葉を聞いて全身が凍り付いた。
「カテゴリー3や!!」
そこからの数分間のことを英介はほとんど覚えていない。
阿鼻叫喚の教室。教師の怒号。FCCへの通報。体育館地下への避難。
通常カテゴリー3のフールは変身し終わるまで約1分を要する。テレビでの知識だ。しかし誰もがそれを知っていた。だから1分以内に避難区域外へ出るかシェルターへ避難する。学生に限らず様々な施設や仕事場で避難訓練は行われている。
とはいえ、実際に隣人がカテゴリー3のフールを発現する様子を見た者はほとんどいない。ほとんどすべてがニュースになるが、実際の出来事として経験する人間は思いのほか少ない。同じ災害のようなものではあるが、広域を巻き込む台風や地震とは違うのだ。隣の町で起こっても気づかない。そこまで逃げてくるフールはいない。それだけFCCの活動は市民の安全を守っていた。
英介は必死に逃げた。たぶん。
必死に体育館の地下シェルターに同級生と飛び込んだ。たぶん。
気づけば英介はシェルターの片隅でガタガタと震えていて、FCCが彼女を処理するのをひどい気持ちで待っていた。カテゴリー3に遭遇したことも怖かったが、好きになった人がそうなってしまったことも震えるほど怖かった。FCCが彼女を処理するのをただ待っている自分も怖かったし、彼女がこの先どうなってしまうのか、おそらくどう楽観的に見てもいい結果は期待できないということが怖かった。
それから数十分が経ち、避難命令が解除され、学校はしばらくの間休校となった。
彼女は同じ中学の子がいなかったようで、ほとんど親しい友人がいないようだった。そういえば関西弁でもなかった。関東の方から引っ越してきた子だったのだろうか。そんなことも知らなかった。
彼女を失った喪失感と過ごしながら、数日が経った。
あるとき、ふと思い立って梅田の方へ出た。楽しい気持ちになりたいと思ったわけではなかった。ただ雑踏をふらふらと歩きたいと思ったのだ。
抜けるような青空。英介の心情とは真逆だった。
誰も彼もが、爽やかな顔で過ごしている。楽しい場所も、憩いの場所も、なんでもある町。だけど英介の心を満たしてくれる人は、もういない。この町にも、あの町にも、この世界のどこにも。そう思っていたのだが……。
FCC隊員のパトロールを見かけた。二人組で周囲を見回しながら歩いていた。体形から見て女性だろう。「あのとき」にも出動した人だろうか。それとも戦闘員ではないのだろうか。なにか情報が得られないだろうか。そんなことを考えながらぼーっと英介は見つめていた。
突然ぴくっと英介の体がはねた。
あの口元、笑ったときの口角の上がり方、歩き方、手の動かし方。
英介は知っていた。
「あ、あのっ!!」
思わず声をかけてしまった。迷惑だったかもしれないが、そんなことを配慮する余裕はなかった。メットで目は隠れているが、この口元は、絶対に……。
「……橘くん……!?」
やっぱり、茅野みゆきだった。英介が恋い焦がれ、わけもわからぬまま失って悲しみに暮れた相手だった。勘違いじゃなかった。英介は膝から崩れ落ちた。
「誰? 知り合い!?」
長身の女性が尋ねている。その声には少しとげがあった。
「あ、えっと、高校で隣の席だった……橘くん……です……」
「そう……ちょっとまずいことになったね……」
死んだと思っていた人が生きていて、FCCの制服に身を包んでいる。
しかもフールとなってFCCに処理されて死んだと思っていたのに。そういう意味ではFCCは仇ではないのだろうか。いやしかし現実に生きていて、命を救ってくれた相手なのだろうか。だとしたらその事実は公表すべきでは? 英介自身のように「死んだと思っていて悲しみに暮れている」人間がいるのだから。そうだ、彼女の両親は? このことを知っているのか? いや、そもそもこれは本人なのか? フールとして死んだ彼女の偽物とか? いや、もっと根本的なこととして、今ここで起こっていることは現実なのか? 自分に都合のいい夢なのでは? すぐに目が覚めて、やはり彼女は死んでいたと布団の中で絶望するだけなのでは?
英介の頭の中はぐるぐると色んな事を考えたが、もう処理が追いつきそうになかった。
ピピッ
みゆきの隣の女性がヘルメットを操作し、なんらかの電子音が鳴った。
「あれ、この子、フールだね。カテゴリー1だけど」
英介はその言葉をうまく処理できなかった。
#9 日野伊鶴は豪気である
日野伊鶴(ひのいづる)は豪気である。
大抵のことは笑って受け流すし、冗談は好きだし、自分がピンチでも困っている後輩のために動いてやりたいと思っている。自分や自分の命にそこまでこだわりがない。少し破滅的でもあるし、誰かと(特に上の人間と)喧嘩になることもいとわないし、FCCとして戦っているときに後輩を守るためなら自分が死んでも構わないし、伊鶴自身はそういう自分が気に入っている。
とはいえ後輩の持ち込んでくるトラブルを全部「はいはい、仕方ないねえ」と簡単に受け止める度量はないのだと実感することになってしまった。
「パトロール中に一般人に正体を知られたぁ!?」
これはかばいきれない。記憶抹消の措置が取られるかもしれない。
「しかも高校の同級生で!? 隣の席で!? 新隊員のことが好きで!? それで制服着てても仕草でバレたぁ!? はぁああああ!?」
伊鶴は目の前が真っ暗になりかけた。環はよくトラブルを持ち込んでくる後輩だが、可愛いやつだ。面倒を見たくなる可愛いやつだ。もともと自分の隊の隊員だった環は、数年前伊鶴が一線を引くと同時に隊長になった。それからも、こうして交流は続いているし、彼女が真っ先に自分を頼ってくれることは嬉しく思う。しかしなんだってこんなどでかいトラブルを引き寄せるかな、こいつは。
「伊鶴さあああん、助けてやあああ、せっかく4人揃った思たのに、こんなんでケチ付けたくないいいいい」
「伊鶴さん、あたしが迂闊だったんです。彼女の力を最大限生かそうと思って、繁華街に連れ出したりなんかしちゃったから……」
環は今にも泣きだしそうだ。
理子は責任を感じてしょぼくれてしまっている。
明治は……黙っているがこの事態を重く受け止めているらしいことは表情で分かった。
「すみません……なんと言ったらいいのか……」
新しく入ったというみゆきという少女(伊鶴は初めて会う)は、借りてきた猫というか小動物のように震えている。この子自身に落ち度はない。仕方のないことだ。
「すみません……まずかったですよね……い、言いふらしたりしないのでなにとぞ寛大な処置を……」
「で、君はなんでここにいるのかな!? ここFCCの拠点だよ!? 機密情報いっぱいだよ!? 一般人は入ってきたらだめでしょうが!! 誰が連れてきた!? ていうかなんで入れた!?」
当の橘英介くん本人もなぜかここにいた。
「え、フール!? カテゴリー1!? だからここに入れた。なるほど。バカ!!」
FCC大阪支部は街中にあるが、一般人が入れるスペースは限られている。
基本的にはFCC隊員はほとんどが元フールでフール細胞を有している。だから支部の中には、フール化したり、それに準ずる装備品を携帯したりした状態でないと入れないように作られている。地下通路も同じようなシステムだ。
だからと言ってフール本人を入れてどうする。
「だって伊鶴さん、この子ほっといたらもっとあかんかったと思わん?」
まあ、それはそうかもしれないが。
「ごめんね、橘くん、なんか変なことに巻き込んじゃって」
「いや、大丈夫、おれの方こそごめん。でも死んだと思ってたからさ、元気そうで本当に嬉しい」
「……うん……ありがとう」
みゆきと「橘くん」は初々しくお喋りをしている。
彼がフールだというのなら、元に戻る前にここを出れば記憶を抹消するまでもなく、本人はここでのことを覚えていない。しかし逆に考えれば、またフールが発現すればここでのことを思い出すのである。カテゴリー1なら、再度発現することも珍しくない。月に1回とか、それ以上の頻度で入れ替わる例もある。
「てゆーか、みゅっちが普通にお喋りできる男子って貴重やない? だいたいビクビクしとるもんねえ」
「橘くん相手なら普通に喋れるんだね」
「あ、えっと、橘くんはすごく優しい雰囲気というか、穏やかな感じで……」
「人畜無害って感じやんな」
「カテゴリー1だしね」
「無害認定……ってこと?」
「ちょ、ちょっとみなさん……」
「みゅっちの無害認定いただきましたー!」
「若いっていいなあー。いいないいなー」
「理子ちゃんも十分若いやん?」
「理子先輩も十分若いですよ?」
ああ、やだやだ。年取ったわ。
伊鶴はバレないようこっそりため息を吐いた。
つい何年か前までは子どもっぽいやり取りだわと受け取っていたはずなのに、今は若い会話についていけないわと感じている。理子の反応も、「私よりずっと若いあんたがなに言ってんのよ」と思ってしまう。
「オーミさんのこともまだちょっと怖がっとるもんなあ」
「……すごいね、あんなに優しい人いないのに」
「見た目やんなあ、見た目が大きいと怖いんやろ?」
「それなら八雲さんに会ったら気絶するかもね、怖い人オーラで」
「……まだ会わせないようにしましょう」
「どう好意的に見てもインテリヤクザやんなあ」
「やめなさい」
どうするべきか。伊鶴がこの件を相談された以上、知らないふりでは済まされない。しかしFCC隊員が「元の知り合い」と出会ってしまうことはこれまでほとんど報告されてこなかった。馴染みのある地域を外されることも原因の一つだが、そもそも「制服やヘルメットで身を包んだ隊員を見分けられた知り合い」がほとんどいなかったからだ。
「厄介だなあ……」
しかしこの場の年長者として、一定の結論を出さなければならない。
「よっしあんたら、私なりの解決策を今から言うから、よく聞きなさい」
雑談に脱線していた面々が姿勢を正して伊鶴の方を向く。橘くんも同じ姿勢だ。それが伊鶴には少しおかしかった。
「まずだね、今回のケースは非常にレアではある。それは彼がフールであること。元に戻れば、今回のことの記憶はない。ないはず。だよね?」
「え……は、はい、そもそもおれは自分がフールだったって、今日知りました」
「カテゴリー1の発現時間は長くて1週間程度。だから彼を見張って、今回の件の記憶がちゃんと消えているかを確認する。ちゃんと消えているようなら、つまりみゆきちゃんがFCC隊員になっていることを知らないようであれば、消すべき記憶もない。問題もない。とりあえずここまではOK?」
みんな神妙な顔をしてふんふんと頷いている。理子だけはちょっと心配そうな顔だ。やはりそう甘い話ではないと気づいているのだろう。
「しかし、だからと言ってフールと本人の記憶が、必ず、絶対に、100%共有されないという保証もない。君自身が書いた日記を本人が読むとか、ここで撮った写真を見てしまうとか、みゆきちゃんと連絡した痕跡を見つけるとか。だからここでのこと、今日知ったこと、君とみゆきちゃんの関係について、何ひとつ証拠を残してはならない。これを破れば君の記憶を抹消する必要が出てくる。それは嫌だろう?」
主に橘くんがふんふんと頷いている。
「で、今日以降、君たちはまったく連絡を取ることもなく、お互いを忘れて、みゆきちゃんはFCCとして、橘くんは一介の高校生として、それぞれの人生を歩む。橘くん、君は今すぐここから出て、振り返らずまっすぐ家まで帰って、また新しい恋をしなさい」
場の雰囲気がピンと張り詰めた。誰も彼も引きつった顔をしている。
今さっきまで仲良く話していたこの二人を引き裂くという提案をしているのだ。橘くんに至っては、みゆきのことが好きだとすでに公言している。それを引き裂くという提案。ロミオとジュリエットのような悲劇ではないか。いや、こんな例えは今の若い子には伝わらないか。フールと人間の許されざる恋。フールとFCC隊員の許されざる恋。
「……」
「……」
お通夜のような雰囲気になって少し可哀想に思えてきたので、意地悪を言うのはこれだけにしておこう。
「と、いうのは二人にとってはとても可哀想なので、特別に、橘くんには『フールでいる期間だけこのFCC大阪支部に出入りする』ことを許可します。許可するって言っても、私の一存では決められないからここらへんは提案であって、ちゃんと上層部にこの案を通さなきゃいけないけどね。で、その代わり、橘くんにはフールとしてのことをいろいろと教えてもらったり、こちらの検査や研究に協力してもらったりする。自分をフールとして自覚している人は貴重だからね」
二人の顔がみるみる晴れていく。
「君がまた現れたとき、つまりフール細胞があるとき、ここへは今の入口から入れる。本来は隊員しか入れない入口ね。学校帰りに寄りなさい。そして研究に協力する。親御さんには短期のバイトだとでも言っておけばいい」
「は、はい!」
嬉しそうだ。死んだと思っていた恋する相手にたびたび会いに来れるというのだ。そりゃあ嬉しいだろう。
自分にはもう失われた感情のような気がして、伊鶴は胸がちくりとした。
「で、ここにいる間に元に戻っちゃうとやばいので、えっと、橘くん、君がいつも肌身離さず着けているものとか、あるかな?」
「あ、この時計なら……中学の入学祝いで親からもらって以来、寝るときとお風呂以外、いつも着けてます」
「OKOK、じゃあその時計にちょっと細工をさせてもらって、『フール細胞が確認できなくなり次第電流を流して装着者を気絶させる機構』でも埋め込ませてもらおうかね」
橘くんの顔が青くなった。
「君がこっちの世界に来たことを自覚したら、その機構のスイッチを入れて、えっとこれはなかなか複雑な操作をしないといけないように工夫するとして、あ、そのスイッチが入ったらこっちにも連絡が来るようにした方がいいな。みゆきちゃんの端末と連携させようか。で、まあ3日くらいは大丈夫としても、5日目、6日目くらいはいつ戻っても大丈夫なように気をつけておかないといけないな……あ、そうか、大阪支部を出たら機構のスイッチ切ってもいいのか。毎回道端とか横断歩道とかで気絶するのはまずいもんな。えっとあと考えておくことは……」
ぶつぶつ言いながら考えをまとめる。
「ちょっと、あんたらも意見言いなさいな。上をちゃんと納得させる案に仕上げないと、最初に私が言った解決策になっちゃうよ!」
ここからが大変だ。しかし、この子たちのためにできることはやってやろう。それが先輩としての、日野伊鶴としての、頼ってくれたことに対しての姿勢だ。上層部と喧嘩になっても構わない。
日野伊鶴は豪気である。
伊鶴はそんな自分が気に入っている。
#10 佐原近江は心優しい
佐原近江(さはらおうみ)は心優しい。
「気は優しくて力持ち」を地で行くタイプである。細い目でいつもにこにこしているので、大柄な体でもあまり怖がられることはない。先日の北摂でのカテゴリー3事件の時も、志摩隊は現場で戦闘を行うことができなかったが、その代わり逃げ遅れた市民の避難誘導に力を尽くすことができた。近江が助けたお婆さんも、安心しきった顔をしていたのをよく覚えている。ヘルメットで顔の大部分が隠れているとはいえ、近江が醸し出す優しい人オーラは隠しきることができない。
「あ……ど、どうも……きょ、今日もよろしくお願いします……」
なのに、新しく入ったというこの新隊員には、なぜだか怖がられている。初めて顔を合わせたとき、近江にとってはあまり経験のないことだったのでひどく狼狽えてしまった。怖がられるなんて、めったにない体験だった。
「あ、うん、じゃあ、今日も始めようか」
気を取り直し、近江はこの新隊員にレクチャーを始めた。
「そうそう、安定してきたよ、その調子」
この新隊員は茅野みゆきと言うらしい。隊長の環から直々にお願いされているので、FCC隊員としての戦い方の基礎を教えることに何の抵抗もないが、どうやら彼女は男性が少し苦手らしいのだ。それなら隊の誰か(難波隊は全員が女性だ)に指導を受けた方がいいだろうに、なぜ環は近江にその役を依頼したのか。
「右に力が入ってるね。もう少し均等に。そうそう」
FCC大阪支部はどちらかと言うと男性隊員の方が多い。だから男性に慣れさせるためだろうか。それなら納得がいくが。墓石《はかいし》隊のメンバーなんかを選ばなくて本当に良かった。たぶんこの子はオオカミの群れに囲まれた羊みたいに震えることだろう。
「あ、ちょっと疲れてきたかな? 下半身が膨張してきてるよ! 人間らしいシルエットを維持して!」
「フールの力」は訓練で抑えることができる。訓練しなければ、暴れ回るカテゴリー3と同じような見た目になってしまう。しかしFCC隊員の戦闘の様子が万一市民に見られたとき、あまりにも人間離れした体で戦ってしまっていたら、制服で隠しているとはいえ「FCC隊員も化け物なのでは!?」と訝しがられてしまう。あえて一部を異形のまま戦う隊員もいるが、基本的には人間らしい体のかたちを維持するのが基本となっている。新人隊員にはまずそれを体で覚えてもらわなければならない。
「よっし、ちょっと休憩しよっか」
決して筋は悪くない。おどおどしているのだけが玉に瑕かもしれないが、ちゃんと鍛えれば強い戦闘員になれると近江は感じていた。
「お、近江さんの、その、変身したら格好が変わるのは、どういう仕組みなんですか? 私、まだパトロールの時は直接制服を着ているんですが……」
「ああ、えっとね、この制服とか武器とか、『フール体の方に登録しておく』んだよね。フール細胞の技術が取り入れられているから、そういうことができるらしくって」
「……?」
この説明ではわかりにくいか。でもこれ以上、近江にもうまく説明できない。
「とりあえず慣れてきたら、変身した後の姿に装備品を登録しておいて、そうすれば次に変身したときにもそのまま制服を着た状態でいられるから」
「はあ……なるほど」
「今はまだ、その変身状態を長時間維持することを頑張ろうね。武器の取り扱いは、そのあとね」
「はい!」
フール兵器の取り扱いは、まだまだこれからだ。
まずはこの体で、自由自在に動けるようになること。
そうすれば、素手でも十分に戦闘に加わることができる。FCC隊員にはそれだけの力がある。
「ぼくねえ、最初『フール兵器』って聞いたときに、『ホールケーキ』と聞き間違えてねえ。ちょうどお腹が空いてたもんだから、よだれ出ちゃいそうになったんだよね」
「……はあ」
近江渾身の冗談もみゆきには通じなかったようだ。
がっくりと肩を落とす。
「お、近江さんは、フールと戦うとき、どんなことを考えていますか?」
珍しくみゆきが話題を振ってくれるので、喜んで応じる。
「なんとなくね、フールも同じ人間、って思っちゃうんだよね。だからできる限り苦しまないように、短い時間で、きっちり『処理』してあげたいんだよね」
「短い時間で……ですか……」
「君のところの環ちゃんなんかは、とどめを刺すのに向いているフール兵器を持ってるよ。君を最後倒したときも、きっとそれで」
本人が思い出すことはできないだろうけど、みゆきが「処理」されたときの難波隊の戦いの様子は大まかに近江の耳にも入っている。
「大体どの隊にも、とどめを刺すのにふさわしい、というか向いている隊員がいてね。うちの隊だと、ぼくだね。鶏介くんと翠ちゃんが近距離で翻弄してくれて、隊長が足止めをしてくれて、で、ぼくが最後、ショットガン型のフール兵器で倒す、って感じ」
考えていることの話だったのに、戦い方の話にすり替わってしまった。慌てて話題を戻す。
「FCCは元フールの集まりだからね。だから、フールに恨みがあるとか、苦しませて殺してやるとか、そんなふうに考える人はほとんどいないんじゃないかな。なるべく救いたい、そう思っているはずだよ」
「そう……ですか……」
彼女の表情からは、近江の話がどう響いたか窺い知ることはできなかった。だが、この話以降、彼女の訓練中の集中力はぐっと増したと近江は感じた。これなら武器の取り扱いの指導もそう遠くない、と近江は嬉しくなった。
仲間が強くなるのは、誰だって嬉しいのである。
……いや、例外もいるが。
――――――
「じゃあ次は、この訓練室の壁沿いを2周しようか。もちろんフール化を維持したままでね」
「は、はい! 走るんですね?」
「走れるなら」
「……」
意識して体を維持するのは初歩であり、FCC隊員として戦うのであればまったくの無意識でその体を維持できなければいけない。
近江も最初はなかなかできるようにならなかった。「走る」ことと「体を維持すること」を同時に行おうと意識してしまい、どちらも上手くいかなかったのだ。その感覚を今も覚えている。
「最初は『リフティングしながらラーメンを食べろ』って言われたみたいで、なかなかできなかったよ、ぼくも」
どちらも中途半端になってしまう。
「それが慣れてくると、『ウインカーを左に出して右折する』くらいの感覚になってきて、今では『息をしながら歩く』くらいの感覚でできるようになったよ」
「はあ……なるほど?」
この例えも伝わりにくかっただろうか。どうもそういう感覚のところを教えるのは苦手だ。環や、理子先輩の方がずっとうまいかもしれない。彼女たちには「近江は教えるのがうまい」と誤解されているようだが、優しい人オーラでごまかせていただけなのかもしれない。
「ま、とりあえずやってみよう」
「はい!」
「15分くらいだね。まあまあ、いい感じ」
「そ、そうですか?」
ふるふると震えながらみゆきが帰ってきた。
もちろん走るなんてとんでもなくて、ゆっくり足元を確かめるようにしながら、しかしフール化は一度も解くことなく2周して帰ってきた。
「最終的な目標タイムは、1分」
「い、いいい、1分!?」
「たとえばカテゴリー3が発現して、変身し終わって暴れ回るまで、だいたい1分。状況によっては1分で周辺の人たちが避難できないこともある。だから1秒でも早く、ぼくらは現場に着かないといけない。地下道のワープ設備で大阪府内ならどこでもすぐに駆けつけられるけど、それでも外に出たら自分の足で走ったり跳んだりしないといけない」
「……」
「ごめんごめん、先の話をし過ぎたね。まずは、明日、14分をめざそうね」
「は、はい……」
実は近江自身は1分ちょうどくらいである。速い隊員は近江の半分くらいである。しかしそれは内緒にしておいた。
――――――
「うん、今日はこれくらいにしておこうか」
「……はいっ……ありがとう……ございました」
みゆきが肩で息をするようになってきたので、お開きにすることにした。
「フール化、だいたい1時間は持つようになったね。訓練し始めでこれなら、十分な成長だと思うよ」
まだ少しぶれるが、長く持つようになってきた。
「カテゴリー3の発現時間はだいたい長くて2時間くらいだから、一応それを目標として伸ばしていこうね」
「は、はい!」
「まあ、ここまでで十分すぎるくらい順調だから、焦らないようにね」
「はい、あの……」
「ん?」
「みなさん、どれくらい長く変身していられるんですか?」
「そうだねえ……ぼくはだいたい4時間くらい、短い人でも2時間はクリアしてるね。一番長い人は16時間くらいだったかな」
「じゅ……!?」
「まあ、そんなのは特別だから、みゆきちゃんはまずは2時間が目標ね」
「は、はい……」
焦らせてはいけない。
ゆっくりじっくり強くなっていけばいい。その道しるべに自分がなれればいい。
「じゃあ、また明日。環ちゃんたちによろしく」
近江は笑顔で送り出した。
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